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2014年4月27日日曜日

Arab as it is (素顔のアラブ) 4

今回も2002年のシリアです。2011年にチュニジアから始まったアラブの春と呼ばれる民衆運動が、リビア、エジプト、シリアへと飛火し、現在のシリアは内戦状態に陥っています。実際には、内戦というよりもサウジアラビアとイランの代理戦争と化し、そこにサウジアラビアの同盟国であるアメリカ、そしてヨーロッパの主要国やトルコ、イランがサポートするレバノンのヒズブッラー、そのシーア派武装組織を潰そうとするスンニ派のテロ集団等が関与し、いつ終息するかも予想できない状況です。私は2006年に起こった第二次レバノン戦争の直後にレバノンを訪れ、それ以来レバノンを中心に中東問題を注視してきましたので、いずれ写真と共に政治的な解説もするつもりですが、まずは平和だった頃のシリアの写真を紹介致します。私は、内戦前のシリアを訪れた日本人を多く知っていますが、その内の誰もがシリアに対して好印象を持っていました。私自身も、これまでに訪れた国々の中でシリアが一番好きで、将来はシリアに住みたいと思った時期もあった程です。


                          Seydnaya, SYRIA
ダマスカスから北へ車で30分程の位置にあるセドナヤには、ギリシャ正教会の修道院があり、中東のキリスト教徒の聖地として、多くの巡礼者がこの地を訪れていた。この村の人口の70%程はキリスト教徒だという。世俗主義のアサド政権は宗教上の差別をしなかったので、キリスト教徒も平和に暮らしていたのだが、内戦勃発後、キリスト教徒もイスラム過激派の標的になったようだ。


                           Hama, SYRIA
オロンテス川の両岸に広がるハマは、12もの水車がある静かな町であるが、シリアの中でスンニ派イスラム教徒の原理主義者が最も多く住んでいる。1982年には、その原理主義者達とシリア政府が対立し、1万人以上が政府軍の爆撃により殺害された。アサド政権は、父の時代から世俗主義だったので、宗教上の原理主義や共産主義は徹底して取り締まった。休日には、子供達が水車の上から川にダイブして遊んでいる。


                       Suburb of Hama, SYRIA
ハマの郊外に、ビーハイブハウス(蜂の巣を伏せたようなドーム型の家)の集落がある。そこでこの女児に出会ったが、非常に美しい顔立ちをしていた。どうしているだろうと、この撮影時から7年後に再びその地を訪れたが、10代後半になった彼女は、子供から脱皮し、すっかり女性になっていた。代わりに、彼女とは違った可愛さを持った幼い妹に会った。私が海外生活を終え、帰国して初めて写真展をさせていただいた時、その案内状とポスターにこの写真を使用した。


                         Deir ez-Zur, SYRIA
イラクまでおよそ100kmのシリア東部、ユーフラテス川沿いにデラゾールというのんびりした町がある。この写真の男達は乗合い自動車の客が集まるのを待っている。セルビスと呼ばれる乗合い自動車は、当然ながらタクシーよりも運賃が安いので、アラブのどの国でも主な交通手段となっているのだが、定員がフルになるまで発車しないので、長時間待たされることも多々ある。


                          Latakia, SYRIA
地中海に接する町であるラタキアは、世俗的なアラウィ派の人々が多いため、西洋料理店があったり、服装もイスラーム的ではない自由さがある。アラブでは、この写真のように、男性が露天で下着等を売っているのをよく見掛ける。


                           Bosra, SYRIA
シリア南部で、もう少し行けばヨルダンという位置にボスラがある。アラブにはローマ時代の遺跡が多く残っているが、ここもその一つで、遺跡の中に人が住んでいるといった具合。2000年もの間、人が住み続けたにも拘らず遺跡がそのまま残っているのには驚く。