現物を見てお買物をしていただきたく思いますので、インターネットを通しての販売は致しませんことをご承知おき下さい。

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2014年3月31日月曜日

春が来た

企画展が終わり、今日は商品入れ換えの日。靱公園を少し散歩しましたが、美しい花がたくさん咲いていたので、写真を撮りました。




数種類の椿が咲いていましたが、この木だけには、ド派手な色の花が群れていました。多分、こんなのが好きな女性は多いと思いますが、私は嫌いで〜す。

Arab as it is (素顔のアラブ) 3

私が海外生活をおくっていた国は小国だったため現地に日本大使館はなく、在ケニア日本大使館が管轄していました。現地在住の日本人が私一人だった時期もあり、私は大使館と情報交換等で時々連絡を取り合っていて、大使館の担当書記官からたまにはナイロビへ来て下さいよといわれていました。そんなわけで、初めてのアラブ旅行の帰路、大使館に立ち寄ろうと予定していたのですが、日時を連絡していなかったため、在チュニジア大使館から連絡を入れてもらおうとその大使館を訪れました。そこで初めて会ったのが井ノ上正盛さんというまだ20歳代後半の若い書記官でした。彼は外務省へ入省後、3年間シリアでアラビア語を学び、シリアをこよなく愛していた人で、私が撮影旅行中だと分かると、シリアでの楽しかった生活を思い出したかのように目を細めて、「シリアはいい所ですよ。是非、行って下さい。」と勧めてくれました。旅行から住んでいた国へ戻った後も、私の個人的な用件で彼と連絡を取り合っていたのですが、翌年、彼の勧め通り、チュニジア経由でシリア、ヨルダンへ旅立ち、チュニスで大使館へ連絡したところ、彼が急にヨルダン勤務になったと聞かされました。その時の目的地の一つがヨルダンだったので、アンマンに到着後、すぐ彼に電話すると、1週間後にイラクへ行くことになり、私に会いたいが忙しくて時間がないこと、また家族は帰国させようと考えていること等を話してくれました。それは2002年の秋でしたから、まだイラク戦争が始まる前でしたが、とにかく身体だけは気をつけてねと電話を切りました。次の年の11月、私は海外生活を終え日本へ帰国したのですが、すぐに短期間のチュニジア旅行へ発ちました。地方を回り、帰国前に定宿としていたチュニスのホテルに落ち着き、テレビを付けたままの部屋へシャワールームから出てみると、イラクで日本の外交官2名が殺害され遺体が成田空港へ到着したニュースを流していて、もしかするとと思いながら観ていると、やはりその内の1人が井ノ上さんだったのです。彼は外交官以前に、シリアやアラブ人を愛していたアラビストだったので、その彼の死が私のアラブでの撮影を続ける決心をさせました。彼のような人物が外務省内に増えると、対中東政策をはじめ対外政策にもっと良い影響を与えることができるのでしょうが。彼等の死はテロリストによるものと発表されましたが、真実は未だに謎なのです。まず、テロリストによるものだとすれば、犯人は必ず犯行声明を出すのですが、成されていません。先日、初めて井ノ上さんをインターネットで検索しましたが、その事件の真相が闇に葬られたという記事がいくつも掲載されています。

長い文章になってしまいましたが、今回の写真は2002年のチュニジア、シリア、ヨルダン旅行のものです。


                          Tozeur, TUNISIA
チュニジア南部の玄関口であるトゥズールには、ヨーロッパの主要空港から直行便が飛んでいる。チュニスは人の格好も建物も近現代的であるが、地方の町や村は保守的で、多くの女性は頭から靴の部分まで布で覆われている。ここの旧市街は14世紀に建造された。この地で、私にとってアラブで最初の友人ができたが、とてもエキゾチックな街の雰囲気に魅かれ、いつかはここに住みたいとも思った。アカデミー賞を受賞した映画「イングリッシュ ペイシェント」の撮影場所として使われたこともある。


                        Sidi Bou Said, TUNISIA
チュニスから僅か1時間以内で行けるシディ・ブ・サイードは、チュニジアン・ブルーの窓や扉と白壁で統一された町並みで有名な観光地。ここの住人はお金持ちが多く、この写真にあるように多くのヨットやクルーザーが停泊している。


                          Damascus, SYRIA
ダマスカスのホテルに落ち着いた後、シリアで最初に撮った写真がこれ。雑居ビルに掛かる多くのサインに驚き、シャッターを切った。井ノ上さんの勧めで訪れたシリアだが、ダマスカスに着いた時の第一印象は、道路も建物も見るもの全てが薄汚れていて、何て汚らしい所へ来たのだと思った。その印象が見る見る内に変化し、私がそれまでに訪れた都市の中で一番好きになった。4,000年もの歴史ある町、深みがある。


                          Aleppo, SYRIA
ダマスカスに次ぐシリア第二の都市であるアレッポの中心部。商業都市であり、多くのキリスト教会が建っている。


                          Amman, JORDAN
ヨルダンの首都であるアンマンの中心地。この男性はペストキルの仕事を待っているのか。


                         Jabal Nebo, JORDAN
ネボ山、ここはモーゼ終焉の地といわれている。この向うには死海を挟んでイスラエルが見える。近くには古い小さな教会が建っている。
  

2014年3月30日日曜日

企画展 『花の器 2nd』

本日で第三回企画展が終了致しました。この期間にご来店いただいたみなさま、また品をご購入していただいたみなさま、どうも有難うございました。明後日からは再び平常営業に戻りますので、今後ともよろしくお願い致します。



2014年3月27日木曜日

企画展 『花の器 2nd』

今回の企画展も、今日を含めて後4日間となりました。花器にご興味のある方は、どうぞお立ち寄り下さい。
今日は須恵器を2点紹介致します。


6世紀の広口壺です。私は和花が好きなのですが、ここでは色鮮やかな洋花をいくつか生けてみました。


これは、石川県の業者から譲ってもらった須恵器皿です。県内で発掘されたそうです。表面に細かな布目がうっすらと残っていますが、このようなやきものから発展して、珠洲窯が生まれたのでしょうか。

2014年3月22日土曜日

企画展 『花の器 2nd』

今日は、古銅ものを2点紹介致します。


これは中国、清代の作だと思われます。古いものなのにモダーンなデザインで、写真では梅を生けていますが、和花、洋花のどちらを生けても似合うでしょう。高さ15cm強と、小振りで使い易いサイズです。長年の使用で、なかなかいい味に変色しています。


こちらはチベットの水筒です。どのように使ったのかは不明ですが、直径が20cmで厚みもあるため、携帯用ではなく台所にでも掛けておいたのかもしれません。いや、チベットは山国ですから、人々の足腰は強いでしょうし、大きくても携帯した可能性もあるかもです。上部のフックは、下の写真にアップしましたように動物(ネズミ?)のモチーフです。



2014年3月17日月曜日

企画展 『花の器 2nd』

いよいよ明日から企画展の始まりです。優品、珍品をはじめ安価なものまで、多くの器はブログでは紹介しておりませんので、どうぞ当店で現物をご覧下さい。なお、企画展中でも、国内ものとアラブの小品はそのまま店内に残しますし、春を迎えるにあたり、ガラス類も展示致します。それでは、みなさまのご来店を心よりお待ちしております。

今日は、九州ものを2点と珍しいグラスを紹介致します。


江戸後期、種子島焼としてはわりと小振りの徳利です。種子島焼に関する文献は数少なく、最も詳しく書かれているのは日本工芸館が昭和56年に刊行した「種子島焼」です。日本工芸館館長であった三宅忠一氏が団長となり、昭和40年に現地で実地調査を行った際、島内にあった能野焼(よきのやき)と野間焼がそっくりで区別がつかないということで、現地の名士約50名が集まった席で、その地元の人々が自主的に野間のものも能野のものも合わせて種子島焼と呼ぶことを決定されたそうです。今回掲載しました徳利も能野焼ということで買っているのですが、上記しました理由で、私は種子島焼と表記致します。私は種子島のものが好きなのですが、これまで野間焼として売られている陶器を目にしたことがありません。戦前から能野焼は知られていたので、種子島焼の全てがその名前で市場に出されたのかもしれません。工芸館の本からすると、苗代川焼に酷似しているのは野間焼のようです。


幕末〜明治頃の黒薩摩小壺です。苗代川のくろもんですね。私は強いイメージのものが好きなのですが、珍しくころんとした壺を買いました。でも、このように丸くて可愛い壺を見ていると、緊張感がほぐれてほのぼのとした気分になります。


明治時代の型吹きグラスです。初見の薄手タイプで、私はビール好きではないのですが、このグラスならビールを飲んでみたいと思うほど魅かれ、購入しました。

2014年3月13日木曜日

企画展 『花の器 2nd』

一輪挿しに使える、低価格のガラス容器もございます。掲載します全ての容器が、大正〜昭和初期頃のものです。


            左:椿油を入れていた瓶です。
            中:古い厚手のフラスコです。
            右:アールデコ・デザインの西洋ものですが、化粧水等の容器だったのでしょう。


昨年もビンドウ(漁獲用の仕掛け)を用意しましたが、今回は1点しか見つかりませんでした。市場に、古いものがだんだん少なくなっているようです。

2014年3月9日日曜日

企画展 『花の器 2nd』

今日はアジアの籠を2点紹介致します。どちらも煤けていい味になっています。


タイの籠ですが、こんな手の込んだもの、日本製だったら高いんでしょうね。


これはフィリピンの蓋付きですが、こういったものは一体何に使われていたのでしょう。

2014年3月5日水曜日

企画展 『花の器 2nd』

第三回企画展を開催致します。一年前にも同じタイトルで企画展を開催しましたが、それまではあまり花を生けた経験のなかった私が、生け花の楽しさを覚え、また元来土器類や壺好きでもあるため、今回も花器展を開催させていただきます。前回同様、元々花器として作られたもの以外に、見立ての品も数々ございます。先史時代から近代のもの、また価格が手頃なものから優品、珍品まで、様々な種類のものが70点程ございますので、どうぞご来店いただきますよう、ここにご案内致します。

2014年3月18日(火) - 30日(日)  12:00 - 18:00
企画展中の休店日は、24日(月)のみ


                           崇福寺水瓶
大津市の崇福寺(大津京鎮護のため、天智天皇の命により668年に建立されたが、室町時代に廃寺)跡から発掘された水瓶。発掘された水瓶のうち80%程は須恵器であるが、その他、白瓷や黒色土器等がある。平安時代の作。

2014年3月1日土曜日

椿づくし

椿は花持ちが悪いからか、花屋さんではなかなか見掛けることがありません。ちょうど友人宅の敷地内に珍しい花弁の椿が咲いていたので、頂戴しました。椿の種類ってすごく多いですね。


以前にも紹介しました古信楽の壺です。私は同じ品を複数回ブログに登場させることがほとんどないのですが、椿を生けた姿がなかなか良いので載せました。


赤土を焼き締めた古越前の甕です。種の保存用に使われていたのでしょう。越前甕は粘土紐巻上げで作られましたが、成形の際、粘土の接目を密着させるため、木板で表面を叩きました。写真の甕にもその叩き目が残っていますが、それは押印文様とよばれています。押印文様で縦線、横線の直線文や格子文等の単純なものは古く、時代が下がれば菊花や文字等を加え装飾化していったようです。写真ではほとんど見えないと思いますが、この甕の押印は単純な叩き目ですから、越前窯が最も盛んであった鎌倉時代の作でしょう。写真に写っている面の裏側には黄胡麻が降っているのですが、私は荒々しい表情をしたこちらの面を表にしました。花器としても良いのですが、作為の全くない造形であり、高さが22cmですので、塗蓋を作って水指に使えば粋ではないでしょうか。ダメージがほとんどなく、水漏れもありません。