現物を見てお買物をしていただきたく思いますので、インターネットを通しての販売は致しませんことをご承知おき下さい。

Customers are able to talk in English at the shop.

2014年6月29日日曜日

Arab as it is (素顔のアラブ) 6

アラブの春という民衆運動が始まった後、エジプトではムバラク政権を倒し、以前よりも自由な国になったと思ったのも束の間、今度は軍部によるクーデターが起こり、国は未だに混乱しています。今回のブログでは、エジプト人にとっては抑圧された生活であったものの、治安も比較的安定していた10年前のエジプトを紹介致します。当時の私は、10年以上の海外生活を終えてからまだ1年も経ておらず、日本の生活になかなか馴染めなかったのですが、エジプトに着くや否や水を得た魚のごとく、いきなり元気になりました。その旅行中にパリでPLO議長のアラファトが亡くなり、遺体がエジプト経由でパレスチナに輸送されたことも強く記憶に残っています。


                                                                                     Cairo, EGYPT
エジプトでの撮影を始めるにあたり、まずは宿泊していたカイロのホテル近辺を撮った1枚。エジプトでは映画制作が頻繁に行われているが、ユーモラスな作品が多い。長距離バス内でもテレビ画面で映画鑑賞ができるが、アラビア語が理解できなくても何となく内容が分かり、笑える。


                                                                                    Tanta, EGYPT
タンタは、カイロとアレキサンドリアの中間に位置し、中部デルタ最大の商業都市であると同時に、大変宗教色(イスラーム)の濃い町である。写真にあるモスクを中心に町が広がっている印象を受ける。


                                                                                Alexandria, EGYPT
ヘレニズム時代に建造されたアレキサンドリア図書館は、世界一の規模を誇っていたといわれる。それを復活すべく2002年に新しい国立図書館が建てられたが、モダーンな建物の外壁には世界中の文字が刻まれている。


                                                                                 Alexandria, EGYPT
アレキサンドリア中心部にある街路の一場面。カフェやショップの前には老人が座り、のんびりした雰囲気。特に9.11事件後は、アラブは危険というイメージを焼き付けられた感があるが、一般人はいたって親切であり、50年前の日本を思い出させる。


                                                                                    Aswan, EGYPT
首都カイロから飛行機で南へ1時間以上、ナイル川を遡った場所にアスワンハイダムで有名なアスワンがある。もう少し南に下がればスーダンという位置だが、ここには肌の色が黒いヌビア人が多く住んでいる。フルーカと呼ばれる帆船に観光客を乗せ、水面をスイスイと進む姿を見ていると爽やかな気分になる。


                                                                                 Bahariyya, EGYPT
エジプトにあるオアシスの一つ、バハリーヤはカイロから車で僅か3時間程で 着くのだが、ディナーで訪れるレストランもない程閑散としている。砂の粒子が細かいのだろう、フットプリントやタイヤ痕がくっきりと残り、この写真の通り、多くの子供達は裸足で道を歩く。                                                                                        

2014年6月26日木曜日

丹波赤土部釉甕


江戸前期、17cの丹波赤土部釉甕です。赤土部釉が掛けられた上に自然釉が流れています。このような甕も最近はほとんど見なくなりました。高さは31cmしかないのですが、胴径が34cmあるため、かなり大きく感じます。

2014年6月23日月曜日

信原孝子医師

今月の12日、私は当店のオープン以来、初めて臨時休業しました。それは、私の友人であり、長年パレスチナ支援をされてきた信原孝子医師の葬儀に参列し、どうしても最後のお別れをしたかったからです。死の直前までパレスチナ人を思い続けた信原さんに関し、ジャーナリストの土井敏邦氏が文章にされていますので、是非ご覧下さい。
www.doi-toshikuni.net/j/column/20140615,html

イスラエルという国がいかに非道な政策を行っているのか、状況をご存知でない方は、インターネットで「パレスチナ情報センター」を検索し、お勉強して下さい。安倍政権が掲げた「武器輸出三原則の破棄」や「集団的自衛権の行使容認」はパレスチナ問題にも深く関わっています。先進国の中で、ヨーロッパの国々がイスラエルと距離を置く中、近づこうとしているのは日本だけなのです。まあ、米国の議会はイスラエルの植民地と揶揄されていますから、別格ですが。

2014年6月19日木曜日

中国染付盃

今日は、中国の染付盃を2点紹介致します。元々はどちらも煎茶碗だったのでしょう、小振りで盃にはちょうど良いサイズです。虫食い以外に、ホツもニューもございません。


まずは明末清初の古染付です。可愛い動物が描かれているのですが、漫画っぽくて動物の種類が特定できません。


こちらは清代のものです。南方、福建省辺りで焼かれたのでしょうか。呉須で上向きと下向きのメダカが描かれています。

2014年6月12日木曜日

突然ですが、本日は臨時休業させていただきます。本日のご来店を予定されていただいた方にはお詫び申し上げます。
チュニジアの結婚衣装

チュニジアのベドウィン女性が結婚式で着用するヘッドドレスです。当店をオープンする際、案内状の写真にこのドレスを使用しましたが、店内ではあまり飾ったことがありませんでした。現地の風習で、花嫁は自身の結婚式のために前もって自分で衣装を作るそうです。チュニジアは小さな国ですが、それぞれの場所で伝統的な衣装や装飾品に違いがあり、個人個人で作る花嫁衣装にもやはり違いがあります。ある地方都市のアンティーク・ショップでこれを見つけた時、どうしても手に入れたいと即座に思いました。アラブでの通常の商取引では価格設定がなく、売手と買手の交渉で値が決定します。そんな事情があり、すごく欲しくてもそんな素振りを見せずに交渉しましたが、その店で一番の品だということで、結構高い買物になりました。ただ、チュニジアで一番良いとされるアンティーク・ショップでこのドレスを見せ、その店が持っていた結婚衣装と比べましたが、こちらの方が数段上のできでした。まあ、そこの主人は、うちの方が縫製が良いなんて言っていましたが。私がこれまでに訪れたアラブの国は10カ国で、チュニジア、モロッコ、イエメンではその国で一番とされるアンティーク・ショップでも買物をしましたが、それらの店は揃えている品に自信を持っていて、定価があり一切値引きをしません。モロッコの店の入口は常にロックされていて、ドアをノックして開けてもらいますが、一般のモロッコ人は店内に入れません。美術品のコレクターは世界中に存在しますから、途上国であっても一流店はあるのです。


衣装の下部の拡大写真です。布の素材はシルク、金色に見える部分はシルバーに金メッキの糸です。色使いのバランスが絶妙だと思います。

2014年6月5日木曜日

東北モノ

今日は、東北出のものを2点紹介致します。私自身、東北の民具が好きなのですが、当然のことながら関東にもお好きな方が多いようで、品が東京でストップしてしまい、なかなか関西に回ってこないようです。ああ残念!


まずは馬鈴です。オリジナルの紐に鈴が2つ付いています。江戸時代のものでしょうが、雪がしんしんと降る中を、シャンシャンと鈴を鳴らしながら進んで行く馬車を想像してしまいます。


こちらは、煤をたっぷり被った升に入った大黒さんです。私は、写実的に彫られた恵比寿大黒よりも、このように朽ちた姿を好みます。