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2016年4月30日土曜日

Arab as it is (素顔のアラブ) 28

今回は、2007年のレバノンです。1年ぶりの訪問でしたが、前年に仲良くなったフランス人のディマイナーが空港まで迎えに来てくれ、久々の再会を喜びました。そして喫茶店で、それまでの1年間に現地であったことの報告を受けたのですが、やはりイスラエルの落とした不発弾による事故が中心でした。2人のレバノン軍兵士が不発弾処理中に亡くなったこと、また幼い兄妹が土遊びした翌日、腕に黒く大きな斑点がいくつも現れ、後日、細胞の壊死が始まったため、すべての腕を切断したそうです。友人自身も会った前日に大きな不発弾を見つけ、中の火薬が雨でほとんど洗い流されていたのに白い薬品のようなものが指に触れた後、だんだんと熱を感じ出したため、急いで手を洗い特に悪い症状は現れなかったと・・・。化学兵器を使用した疑いもあるわけで、私は彼に、その不発弾を薬物検査に出すべきだと提案すると、不発弾を発見するとその日中に爆破する規則になっていて、以前、薬物検査を国連の組織に依頼したものの無視されたと話しました。国連のそういった組織には各国のスパイが入り込んでいるというのが定説なので、様々な国で色んな疑惑が持ち上がっても、うやむやにされるのがこの世界のようです。ただ、現在のわが国での大変大きな問題は、イスラエルのような戦争犯罪国家と、武器の共同開発をしようと計画を押し進めていることです。
忙しい旅でしたが、キリスト教徒の多い町であるジュベイル(ビブロス)に、鴨を食べさせてくれるフレンチレストランがあるとのことで、週末に彼等と訪れ、味良し、ワイン良し、値段が安いと、満足したその日を今でも思い出します。


                         Qana, LEBANON
フランス人の友人から、レバノン南部の町カナに親しくなった家族がいるといわれ訪ねたが、そこの老婆は、1996年4月18日、イスラエルの攻撃を避けるために身を寄せていた国連施設を爆撃され、夫を含めた20名の身内を失った上、娘の1人も重傷を負い片腕を失した。その施設では計106名が殺害されたが、その後も、イスラエル軍はパレスチナのガザで国連施設を爆撃し、誤爆だったと言い訳をしている。この老婆と家族は、前年にもイスラエルによる激しい攻撃があったにも拘らず、全員が明るい笑顔で迎えてくれた。常にイスラエルから脅かされている彼等の精神は強い。


                          Qana, LEBANON
ここは、カナの国連施設で殺された106名のメモリアル共同墓地である。この墓地の向こう側に、被爆した旧国連施設が当時のまま残されている。


                          Nahr al-Bared, LEBANON
スンニ派のテロ集団であるファタハ・アル・イスラームが、トリポリでの銀行強盗に失敗し、そのメンバーが、トリポリの北方にあるナハル・アル・バーリド・パレスチナ難民キャンプに立てこもり、レバノン軍の兵士を殺害したことからレバノン軍との間で大きな戦闘となり、それが5月20日から9月7日まで続いた。結果、43,000人の住民を抱える難民キャンプで、旧キャンプは壊滅、新キャンプも75%が破壊され、住民は国内にある他の難民キャンプに分散して避難生活を開始することとなった。後に、アメリカの雑誌ニューヨーカーの記者であるセイモア・ハーシュが、そのテロ組織は、レバノンのヒズブッラーに対抗させるため、アメリカとサウジアラビアが支援していたことを暴露した。セイモア・ハーシュはユダヤ系アメリカ人で、ベトナム戦争のソンミ村虐殺事件をスクープしたことで、ピュリッツアー賞を受賞したことのある有名なジャーナリストである。


                        Beddawi, LEBANON
ナハル・アル・バーリド難民キャンプを逃れた住民の半数以上は、そこから一番近いバッダーウィ難民キャンプで仮住まいを始めたが、私がそこを訪れた時、何人かの女性が掲示板を覗き込んでいた。それは、自分達のキャンプに戻りたいと政府に申請し、許可が下りるのを待っている人達であった。ただ、新キャンプの住民には許可が下りても、全壊した旧キャンプの人達には帰還が許されなかった。


                        Beddawi, LEBANON
バッダーウィ・キャンプに避難した多くは、キャンプ内に6軒ある学校を仮住まいとしたが、バッダーウィの元の人口が約17,000のところに23,000人以上増えたことで、トラブルも起きた。最初は、災害に会った人達に対して親身に面倒をみていたが、日を増すにつれ、お互いのストレスが溜まり、物理的にも精神的にも疲労した状態になったという。


                        Beddawi, LEBANON
ナハル・アル・バーリドを追われた住民は勿論仕事がなく、子供達もこのように路上で物売りをしていた。


                          Beirut, LEBANON
バッダーウィからベイルートへ戻ると、町には人影がない。この日は、何度も延期された大統領選挙の予定日だったが、またも延期。レバノンは、かつて内戦があったように、宗派間や政党間の争いが絶えず、選挙で紛争が起こるのではないかと住民は外出を控えていた。町にいるのは兵士ばかりで、モスクを撮るのだと、ようやく撮影の許可を得た。その後も、30回以上、この選挙は延期された。現在もまた、その時と同じような状況になっている。


                          Beirut, LEBANON
ベイルートでは、シャティーラ・パレスチナ難民キャンプをよく訪れるが、不幸な境遇にありながらも、子供達はいつも笑顔で接してくれる。


                          Beirut, LEBANON
シャティーラ・キャンプの外れに、レバノンのシーア派政党でレジスタンス組織でもあるアマルの支持者が多く住んでいる。同じ道の1km程先には、アマルやヒズブッラーと対抗するハリーリ元首相のサポーターが住み、この界隈は、様々なパレスチナの政治機構を含め、レバノンという国家の縮図のような感がある。


                          Beirut, LEBANON
シャティーラに住むパレスチナ人の友人と、やはりベイルートにあるブルジュバラジネ・パレスチナ難民キャンプを訪ねた。エルサレムにある黄金のドームが描かれた壁の側に、1人の老人がひっそりと座っていたが、パレスチナ難民が祖国に帰れる日はいつになるのであろうか。


注: パレスチナ難民キャンプの人口を記載したが、これはナハル・アル・バーリドに住んでいたNGOのリーダーから聞いた数で、実は、レバノンでは1960年代以降、国勢調査を行っていないため、実際の人口の把握ができない。15年間も続いた内戦により、多くのキリスト教徒が他国に移住し、それまでは国民の半数とされていたクリスチャンの人口は、現在かなり減っていて、これも実数は把握できていないのが実情である。

2016年4月27日水曜日

古銅梅瓶


これを一瞬見た時は黒高麗かと思ったのですが、手に取ると古銅の瓶でした。明らかに日本のものではなく、梅瓶の形であることから、中国や朝鮮のものかと想像できますが、調べても同じような例が見つからないので、何処のものかは特定できません。ただ、作られた場所に関係なく、古色を纏ったこの姿はなかなか魅力的です。キウイの蔓を入手したので、生けました。

下に瓶をアップしましたが、実物の質感を写真で表せないのが残念です。高さ24cm。



2016年4月20日水曜日

チベット木彫仏


珍しいチベットの木製仏像です。四体が彫られていて、一番大きなものは十一面観音菩薩、一番上はグリーンターラ、横に二つ並んでいるのは姿がかなり似ていますが、左が釈迦牟尼仏で、右は薬師如来でしょう。寺の中で、参拝者の手の届く場所に置いてある仏像だそうで、大勢の人達がこれをさすりながらお祈りするため、摩耗してトロトロになっています。チベット人のお祈りは欲深いものではないらしく、輪廻転生を信じるところから、生まれ変わる時にはせめて人間にと祈るそうです。高さは31cmです。

2016年4月18日月曜日

夷酋列像


フランスのブザンソン美術考古博物館所有の、アイヌに関する絵画(夷酋列像)展が民博で開催中とのことで、今日はそれを観に行きました。18世紀後半に、飛騨屋という商家が交易でアイヌの労働者を雇っていましたが、商取引や労働環境の悪さから労働者が怒り、1789年に71人の和人商人を殺害するという「クナシリ・メナシの戦い」が起きました。翌年、松前藩士で画家でもあった蠣崎波饗(かきざきはきょう)は、藩主の命で、戦いを治めるため松前藩に協力した12人のアイヌ有力者の絵を描きましたが、それが夷酋列像とよばれているものです。ただ、描かれた12人の衣服は、和人との違いを強調するため、実際のアイヌの着物ではなく、中国や西洋をイメージするようなものだったのですが、その絵が評判をよび、諸藩の大名が数々の模写を作らせました。この特別展では、蠣崎波饗のオリジナルと多くの模写が展示されていて、どれもなかなかお上手な絵でしたが、アイヌの人たちは絶対に観たくない展覧会だなと思いました。その他にもアイヌに関するものが展示されていましたが、差別の極めつけは、源義経が平泉で死なず、蝦夷の地へ渡ってアイヌの人たちを跪かせている絵で、蝦夷地はあくまでも和人の土地だという意図があって描かれたと説明文にありました。日本だけではなく、差別は世界中に存在しますが、いつまでたってもなくならないのは悲しいことですね。





日本基督教団大阪教区社会委員会・講演集会  アラブのキリスト教徒から非戦・共生を学ぶ
日時: 5月21日(土) 14:00 ~ 16:00(開場 13:30)  場所: 日本基督教団 浪速教会(大阪市中央区高麗橋2-6-2)
講演者: 菅瀬晶子(国立民族学博物館研究戦略センター准教授)  参加料: 無料(会場でご寄付を募ります)

上記講演の情報がメールで送られてきましたので、お知らせ致します。講演の内容は次の通りです。

「イスラーム国」の映像や欧州での大規模な殺傷事件がニュースで流れるたびに、特定の宗教への恐怖を煽る声や、「平和のための」海外での「自由な」武器使用を正当化する声なども、聞こえてくるようです。
けれど、それなら、イスラームが興って以降、アラブのキリスト教徒たちが1400年近くものあいだ、イスラーム教徒たちと大きな戦争もせず共生できたのは、なぜでしょうか?
日本ではあまり知られていないアラブのキリスト教徒たちの、まさにイェスの時代から続く厚みと深み、そして今をとおして、武器に走らぬ共生の道を学びたい、と願います。どなたでも、お気軽にお越し下さいませ。

2016年4月13日水曜日

ガラス酒盃

天候不順でまだまだ寒暖の差がある今日この頃ですが、ようやく春を迎え、日本酒も冷酒になる頃ですね。まあ、私は冬でも日本酒は常温でいただきますが。ということで、今日は、酒盃としてピッタリサイズのグラスの紹介です。当店では、グラスは江戸期から昭和初期までのものを主に扱っており、様々なサイズがございますので、ご来店いただいたき、お気に入りを選んでいただければ幸いです。



明治から昭和初期までの、お手頃価格なグラスを並べてみました。一番左の背の高いものでも、グラス8分目まで注いで80ccです。1点ものもありますが、複数揃っているグラスもございます。また、ガラス徳利やガラス皿も用意しております。

2016年4月11日月曜日

文字の博覧会  at LIXILギャラリー(グランフロント大阪南館12F)  5月17日(火)まで

先日の企画展中、私の友人が上記展覧会の情報を教えてくれたので、今日、早速見てきました。印刷会社社長であった中西亮さんという方が、社長業のかたわら世界中を旅しておびただしい数の文字資料を収集され、その方がお亡くなりになった後、ご家族がそのコレクションを国立民族学博物館に寄贈され、一部が今回の展覧会で展示されていました。漢字やひらがなは見慣れているので、さほど興味がわきませんが、ほとんど見たことのない文字は、文字というよりも記号のように感じられ、とても興味深く楽しい時間を過ごすことができました。私は人ごみが嫌いな上、流行ものに興味がないので、これまでグランフロントを訪れたことがなかったのですが、この展覧会に行って良かったです。ご興味のある方は、どうぞご覧になって下さい。
今日は、店で商品の入れ換えをしましたが、この展覧会に刺激を受け、店にも文字入りのものを飾りました。



2016年4月10日日曜日

企画展 『花の器 4th』 終了

今日で、今回の企画展が終了致しました。会期中にご来店下さいましたみなさま、そして品をご購入していただいたみなさま、誠に有難うございました。明後日からは通常営業となりますが、今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。



2016年4月8日金曜日

企画展 『花の器 4th』

今回の企画展も、今日を含め後3日間となりました。花の似合う器がまだまだございますので、花器にご興味のある方はどうぞご来店下さい。私自身、第一回目の花器展をするまで花を生けることに特別興味がなかったのですが、やり始めると花の愛らしさや生命力に魅了され、それ以来ずっと続けております。

さて今日は、お手頃価格な私のお気に入りを2点紹介致します。


頸が8割程度欠けた弥生土器ですが、縁の残り方が形良く、粉が吹いたような白い肌のパティナがとても美しい小壺です。高さは12.5cmです。


こちらは石製の花器ですが、当方石に関する知識が乏しく、その種類は不明です。鉄分を多く含んでおり、胴に年輪のような輪がいくつも見られ、水に濡れるとより一層コントラストを増します。元々花器として作られたようですが、機械を使わずに加工されているところから、時代がかなりあるように思われます。高さは19cmです。

2016年4月4日月曜日

企画展 『花の器 4th』

今日は掛花入を2点紹介致します。


時々見かける竹製の掛花入ですが、古色が付いた上、細身のすっきりしたデザインが素敵です。


以前にも同様のものを扱いましたが、これはネパールのミルク等を入れる容器です。木の枯れた風合いが渋く、長年の使用により古色の付いたオリジナルの紐がより良い味を演出しています。