Arab as it is (素顔のアラブ) 12
前回に引き続き、2005年に訪れたシリアです。
Maalula, SYRIA
ダマスカスから北東に車で1時間程の位置に、住民の大半がキリスト教徒の町、マアルーラがある。この写真には町の一部分しか写っていないが、その小さな範囲内にも、岩の上の聖者像や、いくつものキリスト教会を見ることができる。以前にも述べたが、二世代に渡って国を統治しているアラウィ派のアサド大統領は世俗主義なので、キリスト教をはじめ様々な宗教の存在を認めてきた。ただ、世俗主義であるが故、宗教上の原理主義は認めなかった。現在起こっているシリアの内戦では、イスラム教スンニ派の過激な原理主義者がスンニ派に忠実な教徒以外を弾圧し、多くのキリスト教徒が殺害されたり、施設が破壊されたようだ。この町でもかなりの被害があったと想像でき、そんな過激派には怒りを覚える。
Quneitra, SYRIA
これはゴラン高原入口の町、クネイトラにある廃墟の一場面である。第三次及び第四時中東戦争で、クネイトラはイスラエル軍により完全に破壊された。写真の建物は倒壊を免れているものの、内部はミサイルや弾丸でこの有様。クネイトラの破壊直後、当時の国連事務総長はイスラエルを非難したが、シリア政府はその破壊された町全ての惨状を世界に見せるため保存している。ここを訪問するにはシリア政府の許可が必要だが、軍人が説明付きで町を案内してくれる。
Damascus, SYRIA
私がクネイトラを訪問し、昼過ぎにダマスカスに戻ると、シリア国民によるデモが市街地で行われていた。この年の2月にレバノンの元首相ラフィーク・ハリーリがベイルートで暗殺されたが、その暗殺にシリア政府が関与したと関係国から非難されたのに対し、アサド政権を支持するシリア国民の抗議デモであった。バックにある建物は、オスマントルコが1917年に建造したヒジャーズ駅という鉄道の駅舎で、現在、鉄道は廃止されたものの、駅舎は文化財として保存されている。
Tartus, SYRIA
シリア第二の港町であるタルトゥースは多くのシリア人に人気のあるリゾート地で、のんびりした町である。この海岸で撮影中、釣りをしていたシリア人に声をかけられ話しているうちに、「今晩、うちへ夕食を食べに来ないか。」と誘われ、実際にお邪魔してご馳走をいただいた。そのお宅で、ビールやその他のアルコール飲料を勧められ、イスラム教徒ではないのかと質問すると、はいそうだと・・・。宗派を聞かなかったが、要はイスラム教の中でも世俗的なアラウィ派。その方の奥さんまで飲酒していたので、驚いた。数ヶ月後、ちょうど私のシリア紀行を掲載した英文の雑誌が発行されたので、その家族に送ったところ、その家の息子さんから、今エジプトにいるけど元気かと突然の電話があった。現在の日本と違い、初対面でもすぐ友達になれる、それがアラブの良い面だと思う。最近の報道では、アラブのネガティブな話が多いが。
Arwad, SYRIA
タルトゥースの沖10kmに小さな島アルワドがあるが、島内には車がなく、非常にのんびりしていてリラックスできる。ここはシリア唯一の島で、漁業や漁船造りを島民の生業としている。狭い島で撮影していると、子供達から話しかけられたり、家の二階からお菓子を投げてくれたり、とてもフレンドリーな住民であった。
Marqab, SYRIA
タルトゥースから海岸線を北に車で1時間程走るとバニアスという町があり、そこから山岳地帯を登ると、頂上にマルカブ城という中世の城がある。写真では、老人夫婦が城に向かって登っているが、城から見える下界の町や地中海が美しい。バニアスからマルカブまでバスに乗ったが、城の数キロメートル手前が停留所だったので、かなりの上り坂を歩いていたところ、途中で小型のピックアップに拾われ、城まで送ってくれたので助かった。と、多くのシリア人はとても親切。バニアスからタルトゥースへの帰路、乗合いの小型バスに乗っていると、何処まで行くのかと男性に声をかけられ、全く知らない人なのに、私のバス代まで払ってくれた。私が貧乏そうに見えたのか、その人が異常に親切だったのかはいまだに?
前回に引き続き、2005年に訪れたシリアです。
Maalula, SYRIA
ダマスカスから北東に車で1時間程の位置に、住民の大半がキリスト教徒の町、マアルーラがある。この写真には町の一部分しか写っていないが、その小さな範囲内にも、岩の上の聖者像や、いくつものキリスト教会を見ることができる。以前にも述べたが、二世代に渡って国を統治しているアラウィ派のアサド大統領は世俗主義なので、キリスト教をはじめ様々な宗教の存在を認めてきた。ただ、世俗主義であるが故、宗教上の原理主義は認めなかった。現在起こっているシリアの内戦では、イスラム教スンニ派の過激な原理主義者がスンニ派に忠実な教徒以外を弾圧し、多くのキリスト教徒が殺害されたり、施設が破壊されたようだ。この町でもかなりの被害があったと想像でき、そんな過激派には怒りを覚える。
Quneitra, SYRIA
これはゴラン高原入口の町、クネイトラにある廃墟の一場面である。第三次及び第四時中東戦争で、クネイトラはイスラエル軍により完全に破壊された。写真の建物は倒壊を免れているものの、内部はミサイルや弾丸でこの有様。クネイトラの破壊直後、当時の国連事務総長はイスラエルを非難したが、シリア政府はその破壊された町全ての惨状を世界に見せるため保存している。ここを訪問するにはシリア政府の許可が必要だが、軍人が説明付きで町を案内してくれる。
Damascus, SYRIA
私がクネイトラを訪問し、昼過ぎにダマスカスに戻ると、シリア国民によるデモが市街地で行われていた。この年の2月にレバノンの元首相ラフィーク・ハリーリがベイルートで暗殺されたが、その暗殺にシリア政府が関与したと関係国から非難されたのに対し、アサド政権を支持するシリア国民の抗議デモであった。バックにある建物は、オスマントルコが1917年に建造したヒジャーズ駅という鉄道の駅舎で、現在、鉄道は廃止されたものの、駅舎は文化財として保存されている。
Tartus, SYRIA
シリア第二の港町であるタルトゥースは多くのシリア人に人気のあるリゾート地で、のんびりした町である。この海岸で撮影中、釣りをしていたシリア人に声をかけられ話しているうちに、「今晩、うちへ夕食を食べに来ないか。」と誘われ、実際にお邪魔してご馳走をいただいた。そのお宅で、ビールやその他のアルコール飲料を勧められ、イスラム教徒ではないのかと質問すると、はいそうだと・・・。宗派を聞かなかったが、要はイスラム教の中でも世俗的なアラウィ派。その方の奥さんまで飲酒していたので、驚いた。数ヶ月後、ちょうど私のシリア紀行を掲載した英文の雑誌が発行されたので、その家族に送ったところ、その家の息子さんから、今エジプトにいるけど元気かと突然の電話があった。現在の日本と違い、初対面でもすぐ友達になれる、それがアラブの良い面だと思う。最近の報道では、アラブのネガティブな話が多いが。
Arwad, SYRIA
タルトゥースの沖10kmに小さな島アルワドがあるが、島内には車がなく、非常にのんびりしていてリラックスできる。ここはシリア唯一の島で、漁業や漁船造りを島民の生業としている。狭い島で撮影していると、子供達から話しかけられたり、家の二階からお菓子を投げてくれたり、とてもフレンドリーな住民であった。
Marqab, SYRIA
タルトゥースから海岸線を北に車で1時間程走るとバニアスという町があり、そこから山岳地帯を登ると、頂上にマルカブ城という中世の城がある。写真では、老人夫婦が城に向かって登っているが、城から見える下界の町や地中海が美しい。バニアスからマルカブまでバスに乗ったが、城の数キロメートル手前が停留所だったので、かなりの上り坂を歩いていたところ、途中で小型のピックアップに拾われ、城まで送ってくれたので助かった。と、多くのシリア人はとても親切。バニアスからタルトゥースへの帰路、乗合いの小型バスに乗っていると、何処まで行くのかと男性に声をかけられ、全く知らない人なのに、私のバス代まで払ってくれた。私が貧乏そうに見えたのか、その人が異常に親切だったのかはいまだに?