時代は紀元前から現代、ジャンルは現代美術、アフリカやインドネシアのプリミティヴ・アート、アラブの古民具、日本や朝鮮を中心としたアジアの陶磁器・仏教美術・古道具等を扱う小さなセレクトショップです。他の骨董屋や古美術店ではほとんど見掛けない珍しい品を中心に集めておりますので、ご興味のある方はどうぞご来店下さい。
Customers are able to talk in English at the shop.
2016年11月30日水曜日
2016年11月28日月曜日
Arab as it is (素顔のアラブ) 35
自国の生活に慣れていた私にとって、イエメンは別世界でした。私が会話を持った多くのイエメン人によると、他国に干渉して欲しくないという考えの基に、独自の文化をこよなく愛していることが感じられました。我々、外国人からすれば、見る全てが興味を引くもので、私は、その美しい文化を何者も壊してはならないと思いました。とても惹かれた国だったので、何回も紹介しましたが、今日は、2007年のイエメンをカラーで、最終回です。
やはり、私と同じようにイエメンに強く魅かれる外国人も多いようで、そこに住んでいたフランス人やアメリカ人にも会いました。特に印象深かったのは、仲良くなったアンティーク・ショップでお会いしたアメリカ人女性ですが、お歳は70代後半でしょうか、小柄な方で、中国系アメリカ人のご主人と移住されたそうですが、ご主人がお亡くなりになった後も、帰国されなかったようです。イエメンの衣装ではないのですが、エスニックな出立ちで、とてもお洒落で上品な方でした。日本人でも、仕事上というよりも、好んで住まれている方が数人いらっしゃるそうです。
Thula, YEMEN
首都サナアから北西に車で1時間程走ると、岩山の懐にスーラという村が広がる。ここは城壁に囲まれているが、イエメンでは昔から部族間の争いが絶えないため、防衛の意味を込めた村の建造が行われた。イエメンでは、イスラームのスンニ派がマジョリティだが、少数派であるシーア派は、サナア以北で、サウジアラビアとの間に多く居住している。
Shibam, YEMEN
モノクロ写真でも紹介したが、8世紀頃、砂漠の真ん中に、石と日干しレンガで30mもの高さがある建物群が建造された。砂漠の摩天楼と呼ばれているシバームは、世界遺産に登録されていて、その姿は壮観である。
Shibam, YEMEN
シバームの建物群の内側に入ると、広場があり、子供達の遊び場であったり、大人の憩いの場であったりと、住民のコミュニケーションの場として活用されている。
Say'un, YEMEN
イエメン東部の砂漠地帯に、ワディ・ハダラマートと呼ばれる、長さが160kmもある谷が広がり、その中心都市がサユーンである。街中では、露天商も店を開き、現地の人達の日用品を売っている。この写真の場所では、クルアーン等のイスラームに関する本が売られていた。
Tarim, YEMEN
サユーンの東方、35km離れた地にタリムという町がある。そこは、17c~19cには、イエメンに於けるスンニ派イスラームの中心地として、多くの宗教家を輩出した。現在も、イスラームを学ぶ若者が他の国からも集まり、町には360を超えるモスクが存在するという。地方都市では、自動車よりもバイクが交通手段として利用されている。
Tarim, YEMEN
タリムの中心部には、広い敷地に墓地が設けられていた。どれもが同じような墓標で、日本の墓地のような暗さを感じなかった。全ての墓標が似通っているのは、アッラーの前では、みんなが平等という、イスラームの考えを表しているような気がした。
Zabid, YEMEN
ザビードは、サナアの南西、紅海から少し内陸に入った所に位置する。ここも、かつてはイスラームを学ぶ学問都市として栄え、多くの宗教学者を輩出したという。この町も世界遺産登録されているが、現在は荒れ果て、危機遺産にリストアップされている。
South-East of YEMEN
アラブ諸国では、多くのラクダを見かけるが、ラクダは力持ちなのか、この写真のラクダは、運んでいるのが水かオイルなのかは分からないが、ドラム缶3コずつ、恐らく数トンの荷物を背負わされていた。
Hodeidah, YEMEN
紅海に面した港町、ホデイダはイエメン第2の貿易港だが、漁業も盛んである。この撮影時は、漁を終えて入港する漁船が多く、写真のように、三世代で船出していたのだなと思わせる家族もいた。
自国の生活に慣れていた私にとって、イエメンは別世界でした。私が会話を持った多くのイエメン人によると、他国に干渉して欲しくないという考えの基に、独自の文化をこよなく愛していることが感じられました。我々、外国人からすれば、見る全てが興味を引くもので、私は、その美しい文化を何者も壊してはならないと思いました。とても惹かれた国だったので、何回も紹介しましたが、今日は、2007年のイエメンをカラーで、最終回です。
やはり、私と同じようにイエメンに強く魅かれる外国人も多いようで、そこに住んでいたフランス人やアメリカ人にも会いました。特に印象深かったのは、仲良くなったアンティーク・ショップでお会いしたアメリカ人女性ですが、お歳は70代後半でしょうか、小柄な方で、中国系アメリカ人のご主人と移住されたそうですが、ご主人がお亡くなりになった後も、帰国されなかったようです。イエメンの衣装ではないのですが、エスニックな出立ちで、とてもお洒落で上品な方でした。日本人でも、仕事上というよりも、好んで住まれている方が数人いらっしゃるそうです。
Thula, YEMEN
首都サナアから北西に車で1時間程走ると、岩山の懐にスーラという村が広がる。ここは城壁に囲まれているが、イエメンでは昔から部族間の争いが絶えないため、防衛の意味を込めた村の建造が行われた。イエメンでは、イスラームのスンニ派がマジョリティだが、少数派であるシーア派は、サナア以北で、サウジアラビアとの間に多く居住している。
Shibam, YEMEN
モノクロ写真でも紹介したが、8世紀頃、砂漠の真ん中に、石と日干しレンガで30mもの高さがある建物群が建造された。砂漠の摩天楼と呼ばれているシバームは、世界遺産に登録されていて、その姿は壮観である。
Shibam, YEMEN
シバームの建物群の内側に入ると、広場があり、子供達の遊び場であったり、大人の憩いの場であったりと、住民のコミュニケーションの場として活用されている。
Say'un, YEMEN
イエメン東部の砂漠地帯に、ワディ・ハダラマートと呼ばれる、長さが160kmもある谷が広がり、その中心都市がサユーンである。街中では、露天商も店を開き、現地の人達の日用品を売っている。この写真の場所では、クルアーン等のイスラームに関する本が売られていた。
Tarim, YEMEN
サユーンの東方、35km離れた地にタリムという町がある。そこは、17c~19cには、イエメンに於けるスンニ派イスラームの中心地として、多くの宗教家を輩出した。現在も、イスラームを学ぶ若者が他の国からも集まり、町には360を超えるモスクが存在するという。地方都市では、自動車よりもバイクが交通手段として利用されている。
Tarim, YEMEN
タリムの中心部には、広い敷地に墓地が設けられていた。どれもが同じような墓標で、日本の墓地のような暗さを感じなかった。全ての墓標が似通っているのは、アッラーの前では、みんなが平等という、イスラームの考えを表しているような気がした。
Zabid, YEMEN
ザビードは、サナアの南西、紅海から少し内陸に入った所に位置する。ここも、かつてはイスラームを学ぶ学問都市として栄え、多くの宗教学者を輩出したという。この町も世界遺産登録されているが、現在は荒れ果て、危機遺産にリストアップされている。
South-East of YEMEN
アラブ諸国では、多くのラクダを見かけるが、ラクダは力持ちなのか、この写真のラクダは、運んでいるのが水かオイルなのかは分からないが、ドラム缶3コずつ、恐らく数トンの荷物を背負わされていた。
Hodeidah, YEMEN
紅海に面した港町、ホデイダはイエメン第2の貿易港だが、漁業も盛んである。この撮影時は、漁を終えて入港する漁船が多く、写真のように、三世代で船出していたのだなと思わせる家族もいた。
2016年11月19日土曜日
安齊賢太 + 杉田明彦 展 at yaichi 埼玉県北本市中央2-64 2016年11月19日 - 12月04日 11:00 - 18:00
昨日、当店でも作品を取り扱っている杉田明彦さんから、展覧会のお知らせが来ましたので、紹介致します。
安齊賢太さんに関しては、全く存じ上げなかったのですが、黒田泰造さんから白磁を学び、独立されたそうです。杉田さんも、赤木明登さんの下で修行された後、独立されましたし、お二人共、現在の職を得る前は、料理人をされていたようなので、経歴としては似通っていらっしゃいます。案内状の写真を見ましても、どちらの作品もシンメトリーでシャープなフォルムなので、感覚的にも通じるところがあるのかもしれません。
埼玉県のギャラリーなので、私はお伺いできないのですが、関東方面でご興味のある方は、どうぞご覧になって下さい。
昨日、当店でも作品を取り扱っている杉田明彦さんから、展覧会のお知らせが来ましたので、紹介致します。
安齊賢太さんに関しては、全く存じ上げなかったのですが、黒田泰造さんから白磁を学び、独立されたそうです。杉田さんも、赤木明登さんの下で修行された後、独立されましたし、お二人共、現在の職を得る前は、料理人をされていたようなので、経歴としては似通っていらっしゃいます。案内状の写真を見ましても、どちらの作品もシンメトリーでシャープなフォルムなので、感覚的にも通じるところがあるのかもしれません。
埼玉県のギャラリーなので、私はお伺いできないのですが、関東方面でご興味のある方は、どうぞご覧になって下さい。
2016年11月13日日曜日
斑鳩から大和郡山へ
今日は、現代美術家である伊藤祐之さんの個展を観るため、1年ぶりに法隆寺のギャラリーへ行きましたが、その前に、法起寺と慈光院を訪ねました。天気が良かったので、観光客が多いかなと心配していたのですが、ラッキーなことに、両寺共、人がまばらでした。ただ、11時過ぎに慈光院を立ち、その後、法隆寺まで行くと、修学旅行生や観光客で大変な混雑でした。この地域でお寺に行くなら、法隆寺以外は午前中が狙い目のようです。では、撮ってきた写真の紹介です。
これは、法起寺の塔ですが、飛鳥時代に建立された、日本最古の三重塔で、国宝に指定されています。観光客がいないでしょ。
法起寺を見終わって、境内から出ようとすると、真っ赤な実を付けた植物を発見。何なのでしょうね?
法起寺から慈光院に向かって歩いていると、歩道にこんなカマキリがいました。踏まれないように注意してよね。
慈光院の入り口に到着です。
慈光院は、武士の茶道として有名な「石州流」の、祖とされる片桐石見守貞昌(石州)が、父貞隆の菩提寺として1663年に建てた、臨済宗大徳寺派のお寺だそうです。
寺の襖のデザインが、何とも粋な!
慈光院には小さな茶室があるのですが、寺院というよりも、建物全体が茶室というコンセプトで建てられたそうです。この部屋で抹茶をいただきましたが、その時間、この寺院にいた客は私一人でした。
台所の入り口に掛かっていた暖簾ですが、いかにも禅寺っていうデザインですね。
室内から廊下を見た時の、デザイン及びコントラストが素晴らしい!特別なデザインではないのですが、やはり、シンプル・イズ・ザ・ベストということですか。
法隆寺近くの街角に祀ってあったお地蔵さん群です。いつも、多くの人に見守られているのですね。
今日は、現代美術家である伊藤祐之さんの個展を観るため、1年ぶりに法隆寺のギャラリーへ行きましたが、その前に、法起寺と慈光院を訪ねました。天気が良かったので、観光客が多いかなと心配していたのですが、ラッキーなことに、両寺共、人がまばらでした。ただ、11時過ぎに慈光院を立ち、その後、法隆寺まで行くと、修学旅行生や観光客で大変な混雑でした。この地域でお寺に行くなら、法隆寺以外は午前中が狙い目のようです。では、撮ってきた写真の紹介です。
これは、法起寺の塔ですが、飛鳥時代に建立された、日本最古の三重塔で、国宝に指定されています。観光客がいないでしょ。
法起寺を見終わって、境内から出ようとすると、真っ赤な実を付けた植物を発見。何なのでしょうね?
法起寺から慈光院に向かって歩いていると、歩道にこんなカマキリがいました。踏まれないように注意してよね。
慈光院の入り口に到着です。
慈光院は、武士の茶道として有名な「石州流」の、祖とされる片桐石見守貞昌(石州)が、父貞隆の菩提寺として1663年に建てた、臨済宗大徳寺派のお寺だそうです。
寺の襖のデザインが、何とも粋な!
慈光院には小さな茶室があるのですが、寺院というよりも、建物全体が茶室というコンセプトで建てられたそうです。この部屋で抹茶をいただきましたが、その時間、この寺院にいた客は私一人でした。
台所の入り口に掛かっていた暖簾ですが、いかにも禅寺っていうデザインですね。
室内から廊下を見た時の、デザイン及びコントラストが素晴らしい!特別なデザインではないのですが、やはり、シンプル・イズ・ザ・ベストということですか。
法隆寺近くの街角に祀ってあったお地蔵さん群です。いつも、多くの人に見守られているのですね。
2016年11月1日火曜日
Arab as it is (素顔のアラブ) 34
今回も、2007年のイエメンですが、首都サナアをカラーで紹介致します。
Sana'a, YEMEN
ここは、イエメンを紹介するガイドブックには必ず登場する、イエメン門。門の手前が新市街で、向こう側が旧市街になる。この旧市街は、ユネスコの世界遺産に登録されており、全ての建物の窓枠が漆喰で白く縁取られている。
Sana'a, YEMEN
イエメン門を旧市街へくぐり抜けると、道路のモザイクが美しい。
Sana'a, YEMEN
ここも、イエメン門から旧市街へ入って僅かな場所だが、街のいたるところにモスクが存在する。
Sana'a, YEMEN
旧市街では、露店がひしめき合っている。真ん中、手前の男性の頬っぺたが膨らんでいるが、彼はカートとよばれる木の葉っぱを噛みしだいている。カートのエキスは覚醒作用を及ぼし、イエメン男性の多くは、午後になると、仕事中であろうが、これを常用している。カートは、イエメンでは合法だが、隣のサウジアラビアでは麻薬扱いで、使用すると重罰に処せられる。
Sana'a, YEMEN
ここも旧市街の内だが、やはり、男性の頬っぺたが膨らんでいる。
Sana'a, YEMEN
イエメンの成人女性は、全てといっても良い程、目と手以外は、このように黒い布で覆われている。イエメンでは、女性を撮影することは違法で、もし訴えられると、処罰される。自己責任を負う自信がなければ、決して女性を写してはならない。
Sana'a, YEMEN
旧市街の外にも、やはり露店が出ている。日本では、けばけばしいと思っても、この地では、このような鮮やかな色がよく似合う。
今回も、2007年のイエメンですが、首都サナアをカラーで紹介致します。
Sana'a, YEMEN
ここは、イエメンを紹介するガイドブックには必ず登場する、イエメン門。門の手前が新市街で、向こう側が旧市街になる。この旧市街は、ユネスコの世界遺産に登録されており、全ての建物の窓枠が漆喰で白く縁取られている。
Sana'a, YEMEN
イエメン門を旧市街へくぐり抜けると、道路のモザイクが美しい。
Sana'a, YEMEN
ここも、イエメン門から旧市街へ入って僅かな場所だが、街のいたるところにモスクが存在する。
Sana'a, YEMEN
旧市街では、露店がひしめき合っている。真ん中、手前の男性の頬っぺたが膨らんでいるが、彼はカートとよばれる木の葉っぱを噛みしだいている。カートのエキスは覚醒作用を及ぼし、イエメン男性の多くは、午後になると、仕事中であろうが、これを常用している。カートは、イエメンでは合法だが、隣のサウジアラビアでは麻薬扱いで、使用すると重罰に処せられる。
Sana'a, YEMEN
ここも旧市街の内だが、やはり、男性の頬っぺたが膨らんでいる。
Sana'a, YEMEN
イエメンの成人女性は、全てといっても良い程、目と手以外は、このように黒い布で覆われている。イエメンでは、女性を撮影することは違法で、もし訴えられると、処罰される。自己責任を負う自信がなければ、決して女性を写してはならない。
Sana'a, YEMEN
旧市街の外にも、やはり露店が出ている。日本では、けばけばしいと思っても、この地では、このような鮮やかな色がよく似合う。
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