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2016年11月28日月曜日

Arab as it is (素顔のアラブ) 35

自国の生活に慣れていた私にとって、イエメンは別世界でした。私が会話を持った多くのイエメン人によると、他国に干渉して欲しくないという考えの基に、独自の文化をこよなく愛していることが感じられました。我々、外国人からすれば、見る全てが興味を引くもので、私は、その美しい文化を何者も壊してはならないと思いました。とても惹かれた国だったので、何回も紹介しましたが、今日は、2007年のイエメンをカラーで、最終回です。
やはり、私と同じようにイエメンに強く魅かれる外国人も多いようで、そこに住んでいたフランス人やアメリカ人にも会いました。特に印象深かったのは、仲良くなったアンティーク・ショップでお会いしたアメリカ人女性ですが、お歳は70代後半でしょうか、小柄な方で、中国系アメリカ人のご主人と移住されたそうですが、ご主人がお亡くなりになった後も、帰国されなかったようです。イエメンの衣装ではないのですが、エスニックな出立ちで、とてもお洒落で上品な方でした。日本人でも、仕事上というよりも、好んで住まれている方が数人いらっしゃるそうです。


                          Thula, YEMEN
首都サナアから北西に車で1時間程走ると、岩山の懐にスーラという村が広がる。ここは城壁に囲まれているが、イエメンでは昔から部族間の争いが絶えないため、防衛の意味を込めた村の建造が行われた。イエメンでは、イスラームのスンニ派がマジョリティだが、少数派であるシーア派は、サナア以北で、サウジアラビアとの間に多く居住している。


                           Shibam, YEMEN
モノクロ写真でも紹介したが、8世紀頃、砂漠の真ん中に、石と日干しレンガで30mもの高さがある建物群が建造された。砂漠の摩天楼と呼ばれているシバームは、世界遺産に登録されていて、その姿は壮観である。


                          Shibam, YEMEN
シバームの建物群の内側に入ると、広場があり、子供達の遊び場であったり、大人の憩いの場であったりと、住民のコミュニケーションの場として活用されている。


                           Say'un, YEMEN
イエメン東部の砂漠地帯に、ワディ・ハダラマートと呼ばれる、長さが160kmもある谷が広がり、その中心都市がサユーンである。街中では、露天商も店を開き、現地の人達の日用品を売っている。この写真の場所では、クルアーン等のイスラームに関する本が売られていた。


                           Tarim, YEMEN
サユーンの東方、35km離れた地にタリムという町がある。そこは、17c~19cには、イエメンに於けるスンニ派イスラームの中心地として、多くの宗教家を輩出した。現在も、イスラームを学ぶ若者が他の国からも集まり、町には360を超えるモスクが存在するという。地方都市では、自動車よりもバイクが交通手段として利用されている。


                          Tarim, YEMEN
タリムの中心部には、広い敷地に墓地が設けられていた。どれもが同じような墓標で、日本の墓地のような暗さを感じなかった。全ての墓標が似通っているのは、アッラーの前では、みんなが平等という、イスラームの考えを表しているような気がした。


                            Zabid, YEMEN
ザビードは、サナアの南西、紅海から少し内陸に入った所に位置する。ここも、かつてはイスラームを学ぶ学問都市として栄え、多くの宗教学者を輩出したという。この町も世界遺産登録されているが、現在は荒れ果て、危機遺産にリストアップされている。


                         South-East of YEMEN
アラブ諸国では、多くのラクダを見かけるが、ラクダは力持ちなのか、この写真のラクダは、運んでいるのが水かオイルなのかは分からないが、ドラム缶3コずつ、恐らく数トンの荷物を背負わされていた。


                         Hodeidah, YEMEN
紅海に面した港町、ホデイダはイエメン第2の貿易港だが、漁業も盛んである。この撮影時は、漁を終えて入港する漁船が多く、写真のように、三世代で船出していたのだなと思わせる家族もいた。