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2017年6月30日金曜日

Arab as it is (素顔のアラブ) 42

今回は、2009年のレバノンです。2007年にレバノンを訪れた際、乗合タクシーの中で、レバノン人の若者から声をかけられ、話をすると、日本への憧れを持った好青年で、その後、私の最も大切な友となりました。彼の父親はアーティストで、交際範囲が広く、数人の要人を紹介していただいたのですが、癌を患い、残念ながら3年前にお亡くなりになりました。彼等はシーア派のイスラム教徒なので、シーア派にとっては最も重要な儀式の一つである、アシュウラが行われる時期のレバノン行きを勧められ、12月後半にその地を訪れました。


                          Beirut, LEBANON
ちょうどこの日はクリスマス、レバノンには多くのキリスト教徒が存在するため、ダウンタウンの大通に大きなクリスマス・ツリーが設けられていた。大モスク前のツリーとは、レバノンらしい光景。


                          Beirut, LEBANON
地中海に面した海岸道路。早朝には、多くの人がビーチでジョッギングする。


                        Nabatiye, LEBANON
アシュウラの行進を、建物の屋上から見守っている老若男女。レバノン南部の中心都市であるナバティエは、住民の全てがシーア派で、アシュウラの期間中、国内で最大のイベントが執り行われる。多くのイベント参加者は、自分自身の頭部を刀で斬りつけながら行進するので、道路は血の海となっている。かなり血なまぐさい光景なので、その場面の写真は割愛する。


                        Nabatiye, LEBANON
私も建物の屋上に上り撮影を始めたが、子供は世界中どこでも同じ、母親にせがんだり甘えたりしている。


                         Nabatiye, LEBANON
ここでも、父親におんぶされ行進を眺めている可愛い少女が・・・。


                         Nabatiye, LEBANON
こんなアーチの上にも観客がいるが、どのようにして上ったのだろう。


                          Beirut, LEBANON
ベイルート南部の街、ダヒーヤのシュハーダ・コンプレックスで行われたアシュウラのイベントで撮影。この行事のオーガナイザーは、政党であり、イスラエルに対しての抵抗組織でもあるヒズブッラーだったので、当然ながら撮影許可を申請し、受諾された。今でも思い出すのは、そのメディア担当のリーダーの人柄で、年配のその男性のいかに紳士たる態度と笑顔。普段、ガラの悪い自分自身が恥ずかしく思えるほどだった。ただ、撮影するにあたって、私のカメラはフィルム仕様なので、暗い会場内では苦労した。


                          Beirut, LEBANON
シュハーダ・コンプレックスでは、テレビ用の撮影台が会場の中央部に設けられていて、私もその上からの撮影を許された。会場の後ろに掲げられている写真は、イスラエルに暗殺されたヒズブッラーのリーダー達のもの。写真の左4分の1には、女性の参加者が写っている。


この旅が、私にとって最後のレバノン訪問でした。レバノンには多くの友人がいて、彼等・彼女等の宗教は、イスラームのスンニ派・シーア派、ドゥルーズ、キリスト教と多岐に渡ります。ただ、15年間の内戦があったように、宗派間の関係が良好だとは言えないため、異なった宗派の人達と仲良くすれば、スパイじゃないのかと疑われる可能性もあるのです。2006年のレバノン戦争後1年間で、イスラエルのスパイとされるレバノン人が100人以上も逮捕されました。CIAのエージェントもレバノン内にかなりの数存在するでしょう。私の定宿でも、それらしきアメリカ人を数人見かけました。そのような状況下、レバノン内の人間関係は、それぞれの疑心暗鬼の上に成り立った厄介なものだと言わざるを得ません。日本では考えられない、宗派間の軋轢があるのです。私のように、神を信じても、特定の宗教を持たないと決めている人間にとっては、いろんな宗派の人達と仲良くできても、その人達とどれだけ深い関係を結べるのだろうと考えさせられます。