Arab as it is (素顔のアラブ) 14
前回に引き続き、2005年に訪れたパレスチナですが、今回は、2002年からイスラエルがパレスチナの領土内に建設している分離壁の写真です。イスラエル政府は、テロ防止のために建設するのだと主張しましたが、その壁はグリーンラインとよばれる1949年の停戦ラインよりもパレスチナ側に入り込み、イスラエル人の入植地もどんどんと建設して、領土拡大の既成事実化を謀ろうとしています。
パレスチナ人の生活を分断し、彼等の生活に悪影響を及ぼしているこの分離壁建設は、国際的に非難され、国連総会でも建設に対する非難決議がなされました。また、国際司法裁判所は2004年7月に、イスラエルの分離壁建設が国際法に反し、パレスチナ人の自決権を損なう不当な差別と見なし、違法であるとの勧告を出しました。それでも、イスラエル政府に対するアメリカ政府の支援もあり、この分離壁建設が中止されることはありませんでした。
この地では、一神教とされるユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の信徒達が、多少の争いがあったものの、長年共存してきた歴史があります。しかし、1948年のイスラエル建国以来、共存ではなくユダヤ教徒だけの国をつくるという政策を押し進めていることが、世界を巻き込む中東の大きな問題に発展しているのです。私がこれまでのブログで述べましたように、イスラエルのような単一宗教の国づくりをするという政策は、アフガニスタンのタリバンや、現在大問題になっているイスラム国と何ら変わりがないのではないでしょうか。
ただ、イスラエル建国までのユダヤ人は、ロシアやヨーロッパ諸国で大変な迫害を受け、虐殺された歴史があります。私もこれまでに三度訪れたアムステルダムでは、アンネ・フランクの隠れ家を二度訪問し、人種差別の醜さや悲しさを痛切に感じました。パレスチナでの問題点は、ユダヤ人が悪いということではなく、シオニズムとよばれる、その地でユダヤ教徒だけを正統化する政策なのです。そしてイスラエルのシオニスト達は、多くのユダヤ人が虐殺されたホロコーストを利用して、自国の愚かな政策の正当性を主張しているのです。様々な地で迫害を受けた歴史がある故に、ユダヤ教徒にとっての安楽地を求めたという流れがあったのでしょうが、元々パレスチナに住んでいたユダヤ教徒以外の人々を他の地に追いやり、迫害することは許されるべきではありません。現在のイスラエルが、かつての南アフリカと同様にアパルトヘイト国家とよばれる所以です。中東問題の根源はそこにあるのですから、様々な宗教を持つ人々がいっしょに暮らせるような国に変身して欲しいと願います。
そして、わが国日本が、シオニズム政策を推進するイスラエルと協調することは、愚かなことであるといわざるを得ません。経済的なことで近づくのであれば、金銭面以外に、害はあっても利がないことを日本人が知る必要性があると思います。オバマ大統領の任期は2017年1月までですが、現在、その政権とイスラエルは険悪な状態になっています。そのような状況下でも、安倍政権はイスラエルとお友達になるというのでしょうか。そうなれば、日本は海外から馬鹿にされるでしょうし、中東からの原油確保が難しくなる可能性もあるのではないでしょうか。勿論、日本人に対するテロも激しくなるでしょう。
Qalandiya, PALESTINE
ここカランディア検問所は、ヨルダン川西岸地区で一番大きな検問所であり、エルサレムからパレスチナ自治政府があるラマーラへ向かったり、エルサレムから東や北方面に向かう際には必ず通らなければならない場所である。それ故に、写真の通り大変混雑しており、通過するだけでかなりの時間を無駄にする。ちなみに、パレスチナ人にとって、多方面からエルサレムに入るにはイスラエル発行の通行証が必要で、それがなければ入ることはできない。また、その通行証の入手は困難で、すぐ目の前にあるエルサレムへ一生に一度も入ることができない人々が多く存在する。
Qalqiliya, PALESTINE
カルキリヤは、元々農業の盛んな場所で、かつては農作物が多く販売されていたため、イスラエル人も彼等の住む都市よりも値が安いということで、それらを購買し賑わっていたという。ところが、この分離壁が建設されてからは、当然のことながらパレスチナとイスラエル側の行き来ができなくなり、多くのパレスチナ人農業者は生活に困窮するようになった。恐らく、この壁周辺の荒れた地にも、かつては畑があったのだろう。
Azeliya, PALESTINE
エルサレムと隣接したアゼリヤに、現地で世話になった日本人が住んでいたので訪れたが、そこでも分離壁建設が進んでいた。当時は、子供達のいる向こう側が簡易の検問所となっており、多くのイスラエル兵がたむろしていた。
Anata, PALESTINE
エルサレム近郊の町であるアナータの小学校敷地内に、イスラエルが分離壁を造り始めたという情報を受け、急いで駆けつけた。私が宿泊していたホテルにいた日本人の大学生も同行したいとのことで、いっしょに行ったが、すでにその違法な壁建設を知ったイスラエル人の活動家カップルがビデオ撮影を開始していた。イスラエルにも、その政府がパレスチナ人に対して違法行為をしているとの認識がある人々も存在し、その行為に反発する活動家もいる。ただ、多くのイスラエル人は自分達が悪いという意識が欠けているようで、多くの日本人の能天気さとイメージが重なる。小さくて見辛いが、写真の上下中心部、左から五分の二程の場所にイスラエル兵が4人いて、壁建設に邪魔が入らないかを監視している。
Anata, PALESTINE
イスラエル人活動家と共に、私も写真撮影を始めると、4人いたイスラエル兵がこちらに向けて催涙弾を発射してきた。彼等と私達の距離がかなりあったため、催涙弾は私達がいた小学校の屋上を通り越して、裏側の少し離れた建物の屋上に着弾した。この写真の二カ所で、白い煙が上がっているのが催涙弾。イスラエル政府側は、自分達の違法行為を認識しているため、常にその証拠を捉えられないようにする。イラク戦争が始まるまでは、アラブ人によるジャーナリストや活動家の殺害はほぼなく、殺された多くは、イスラエル兵によるものだった。ジャーナリストが殺された際のイスラエル側の言い訳は、カメラが武器に見えたと・・・。私に同行した大学生は、それまでの1年間、世界を旅していたそうで、南米では拳銃強盗にあったと話していた。それでも、イスラエル兵からの発砲には心底ショックを受けた様子であった。まあ、その時の経験はイスラエルによる脅しだけれど、パレスチナ人は毎日のように脅され殺されているのだから。
Bethlehem, PALESTINE
イエス・キリスト生誕の地とされているベツレヘムでも分離壁建設は進んでいた。写真の壁画は有名なイギリス人アーティストであるバンクシーによるもの。この壁の向こうはイスラエル側なので、そちらはパラダイスだと皮肉った絵なのだろう。その後調べてみると、バンクシーは2005年8月にパレスチナで壁画を描いたらしく、それはこの撮影直前だったようだ。この頃は、まだバンクシーの名が今程有名ではなかったような気がする。
前回に引き続き、2005年に訪れたパレスチナですが、今回は、2002年からイスラエルがパレスチナの領土内に建設している分離壁の写真です。イスラエル政府は、テロ防止のために建設するのだと主張しましたが、その壁はグリーンラインとよばれる1949年の停戦ラインよりもパレスチナ側に入り込み、イスラエル人の入植地もどんどんと建設して、領土拡大の既成事実化を謀ろうとしています。
パレスチナ人の生活を分断し、彼等の生活に悪影響を及ぼしているこの分離壁建設は、国際的に非難され、国連総会でも建設に対する非難決議がなされました。また、国際司法裁判所は2004年7月に、イスラエルの分離壁建設が国際法に反し、パレスチナ人の自決権を損なう不当な差別と見なし、違法であるとの勧告を出しました。それでも、イスラエル政府に対するアメリカ政府の支援もあり、この分離壁建設が中止されることはありませんでした。
この地では、一神教とされるユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の信徒達が、多少の争いがあったものの、長年共存してきた歴史があります。しかし、1948年のイスラエル建国以来、共存ではなくユダヤ教徒だけの国をつくるという政策を押し進めていることが、世界を巻き込む中東の大きな問題に発展しているのです。私がこれまでのブログで述べましたように、イスラエルのような単一宗教の国づくりをするという政策は、アフガニスタンのタリバンや、現在大問題になっているイスラム国と何ら変わりがないのではないでしょうか。
ただ、イスラエル建国までのユダヤ人は、ロシアやヨーロッパ諸国で大変な迫害を受け、虐殺された歴史があります。私もこれまでに三度訪れたアムステルダムでは、アンネ・フランクの隠れ家を二度訪問し、人種差別の醜さや悲しさを痛切に感じました。パレスチナでの問題点は、ユダヤ人が悪いということではなく、シオニズムとよばれる、その地でユダヤ教徒だけを正統化する政策なのです。そしてイスラエルのシオニスト達は、多くのユダヤ人が虐殺されたホロコーストを利用して、自国の愚かな政策の正当性を主張しているのです。様々な地で迫害を受けた歴史がある故に、ユダヤ教徒にとっての安楽地を求めたという流れがあったのでしょうが、元々パレスチナに住んでいたユダヤ教徒以外の人々を他の地に追いやり、迫害することは許されるべきではありません。現在のイスラエルが、かつての南アフリカと同様にアパルトヘイト国家とよばれる所以です。中東問題の根源はそこにあるのですから、様々な宗教を持つ人々がいっしょに暮らせるような国に変身して欲しいと願います。
そして、わが国日本が、シオニズム政策を推進するイスラエルと協調することは、愚かなことであるといわざるを得ません。経済的なことで近づくのであれば、金銭面以外に、害はあっても利がないことを日本人が知る必要性があると思います。オバマ大統領の任期は2017年1月までですが、現在、その政権とイスラエルは険悪な状態になっています。そのような状況下でも、安倍政権はイスラエルとお友達になるというのでしょうか。そうなれば、日本は海外から馬鹿にされるでしょうし、中東からの原油確保が難しくなる可能性もあるのではないでしょうか。勿論、日本人に対するテロも激しくなるでしょう。
Qalandiya, PALESTINE
ここカランディア検問所は、ヨルダン川西岸地区で一番大きな検問所であり、エルサレムからパレスチナ自治政府があるラマーラへ向かったり、エルサレムから東や北方面に向かう際には必ず通らなければならない場所である。それ故に、写真の通り大変混雑しており、通過するだけでかなりの時間を無駄にする。ちなみに、パレスチナ人にとって、多方面からエルサレムに入るにはイスラエル発行の通行証が必要で、それがなければ入ることはできない。また、その通行証の入手は困難で、すぐ目の前にあるエルサレムへ一生に一度も入ることができない人々が多く存在する。
Qalqiliya, PALESTINE
カルキリヤは、元々農業の盛んな場所で、かつては農作物が多く販売されていたため、イスラエル人も彼等の住む都市よりも値が安いということで、それらを購買し賑わっていたという。ところが、この分離壁が建設されてからは、当然のことながらパレスチナとイスラエル側の行き来ができなくなり、多くのパレスチナ人農業者は生活に困窮するようになった。恐らく、この壁周辺の荒れた地にも、かつては畑があったのだろう。
Azeliya, PALESTINE
エルサレムと隣接したアゼリヤに、現地で世話になった日本人が住んでいたので訪れたが、そこでも分離壁建設が進んでいた。当時は、子供達のいる向こう側が簡易の検問所となっており、多くのイスラエル兵がたむろしていた。
Anata, PALESTINE
エルサレム近郊の町であるアナータの小学校敷地内に、イスラエルが分離壁を造り始めたという情報を受け、急いで駆けつけた。私が宿泊していたホテルにいた日本人の大学生も同行したいとのことで、いっしょに行ったが、すでにその違法な壁建設を知ったイスラエル人の活動家カップルがビデオ撮影を開始していた。イスラエルにも、その政府がパレスチナ人に対して違法行為をしているとの認識がある人々も存在し、その行為に反発する活動家もいる。ただ、多くのイスラエル人は自分達が悪いという意識が欠けているようで、多くの日本人の能天気さとイメージが重なる。小さくて見辛いが、写真の上下中心部、左から五分の二程の場所にイスラエル兵が4人いて、壁建設に邪魔が入らないかを監視している。
Anata, PALESTINE
イスラエル人活動家と共に、私も写真撮影を始めると、4人いたイスラエル兵がこちらに向けて催涙弾を発射してきた。彼等と私達の距離がかなりあったため、催涙弾は私達がいた小学校の屋上を通り越して、裏側の少し離れた建物の屋上に着弾した。この写真の二カ所で、白い煙が上がっているのが催涙弾。イスラエル政府側は、自分達の違法行為を認識しているため、常にその証拠を捉えられないようにする。イラク戦争が始まるまでは、アラブ人によるジャーナリストや活動家の殺害はほぼなく、殺された多くは、イスラエル兵によるものだった。ジャーナリストが殺された際のイスラエル側の言い訳は、カメラが武器に見えたと・・・。私に同行した大学生は、それまでの1年間、世界を旅していたそうで、南米では拳銃強盗にあったと話していた。それでも、イスラエル兵からの発砲には心底ショックを受けた様子であった。まあ、その時の経験はイスラエルによる脅しだけれど、パレスチナ人は毎日のように脅され殺されているのだから。
Bethlehem, PALESTINE
イエス・キリスト生誕の地とされているベツレヘムでも分離壁建設は進んでいた。写真の壁画は有名なイギリス人アーティストであるバンクシーによるもの。この壁の向こうはイスラエル側なので、そちらはパラダイスだと皮肉った絵なのだろう。その後調べてみると、バンクシーは2005年8月にパレスチナで壁画を描いたらしく、それはこの撮影直前だったようだ。この頃は、まだバンクシーの名が今程有名ではなかったような気がする。