時代は紀元前から現代、ジャンルは現代美術、アフリカやインドネシアのプリミティヴ・アート、アラブの古民具、日本や朝鮮を中心としたアジアの陶磁器・仏教美術・古道具等を扱う小さなセレクトショップです。他の骨董屋や古美術店ではほとんど見掛けない珍しい品を中心に集めておりますので、ご興味のある方はどうぞご来店下さい。
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2018年8月29日水曜日
2018年8月16日木曜日
2018年 お盆
今年のお盆も今日で終わりですが、私は昨日まで広島へ墓参に行ってきました。現地でレンタカーを借りるため、行きたい場所を事前にチェックし、二ヶ所を訪れました。
まずは、三次市にある真言宗醍醐派の岩屋寺です。
寺へは徒歩で登る参道と、車を利用する、二つのコースがあったのですが、じっくり観察したいので参道をチョイス。緩やかな坂を少し登ると、このような仁王門がありました。寂れた感じで、期待を胸に進みます。
仁王門までは、歩き易い山道だったのですが、それを過ぎるとこのような岩だらけの道に変わり、先が思いやられましたが、興味津々で進むと、足下にヘビが横たわっていて、ちょっと吃驚。マムシに噛まれたらどうしようとその時は案じたのですが、帰宅してから調べると、この辺りにはマムシが多く生息しているようです。私はバーミューダにサンダル姿でしたから、下手をすれば即座に噛まれたでしょう。私は好奇心旺盛ですから、不安ながらも、そのまま進みました。
登って行くと、右手にいくつもの石仏を発見。ますます興味がわきます。
また少し歩くと、今度は左手の岩の祠に、並べられた石仏を発見。ちなみに、天平年間(730~750)に、行基が諸国巡錫の際、当山の霊気を感じ、岩屋の洞窟に観世音菩薩を刻み、岩屋寺と名付けたそうで、空海が唐より帰朝後の806年には、修行地であった当山も真言宗を奉じたとのことです。
まだまだ登ると、今度は右手に石の鳥居がありました。古い寺ですから、当然のことながら、以前は神仏習合だったのですね。
次は、多くの泥仏が納められた地蔵堂に到着。入口には結界が設けられていました。
その後、ようやく寺の本堂に到着したのですが、写真に収めるほどの建造物がそこには見当たらず、道中に高まっていた興味が萎えてしまいました。そこで、小さな池に咲いていた蓮を撮影。自然の美です。
寺から、まだ山を登って行くと、比叡尾山城跡があり、その近くに城主一族の墓地が広がっていたのですが、荒れ果てていたので、その写真は省きます。
これは、寺のレベルから、三次の町を見下ろした風景です。
住職夫人が庭掃除をされていたので、少し話を伺ったのですが、私が登ってきた参道に岩がごろごろして歩き難かったのは、先月の自然災害で、山の上にある溜池から大量の水が溢れ、整備してあった参道を荒れさせたそうです。下りは車も通れる観光道を利用するように勧められ、その通りにしたのですが、道は舗装されているものの、つづら折れになっていて、距離が登ってきた道の何倍もあり、時間も相当かかりました。
その下り道で、木漏れ日に照らされた落葉を撮影。
こちらも、下り道で見つけた葉影です。
次に訪れたのは、やはり三次市にある矢谷古墳です。
こちらも、事前に調べて選んだ訪問地なのですが、国の史跡に指定されているものの、現場へ着くと、たったのこれだけ。何か、狐につままれたような気分になりました。
岩屋寺も矢谷古墳も、訪問者は私たった一人でした。かなりマイナーな好みの持ち主ですね。
今年のお盆も今日で終わりですが、私は昨日まで広島へ墓参に行ってきました。現地でレンタカーを借りるため、行きたい場所を事前にチェックし、二ヶ所を訪れました。
まずは、三次市にある真言宗醍醐派の岩屋寺です。
寺へは徒歩で登る参道と、車を利用する、二つのコースがあったのですが、じっくり観察したいので参道をチョイス。緩やかな坂を少し登ると、このような仁王門がありました。寂れた感じで、期待を胸に進みます。
仁王門までは、歩き易い山道だったのですが、それを過ぎるとこのような岩だらけの道に変わり、先が思いやられましたが、興味津々で進むと、足下にヘビが横たわっていて、ちょっと吃驚。マムシに噛まれたらどうしようとその時は案じたのですが、帰宅してから調べると、この辺りにはマムシが多く生息しているようです。私はバーミューダにサンダル姿でしたから、下手をすれば即座に噛まれたでしょう。私は好奇心旺盛ですから、不安ながらも、そのまま進みました。
登って行くと、右手にいくつもの石仏を発見。ますます興味がわきます。
また少し歩くと、今度は左手の岩の祠に、並べられた石仏を発見。ちなみに、天平年間(730~750)に、行基が諸国巡錫の際、当山の霊気を感じ、岩屋の洞窟に観世音菩薩を刻み、岩屋寺と名付けたそうで、空海が唐より帰朝後の806年には、修行地であった当山も真言宗を奉じたとのことです。
まだまだ登ると、今度は右手に石の鳥居がありました。古い寺ですから、当然のことながら、以前は神仏習合だったのですね。
次は、多くの泥仏が納められた地蔵堂に到着。入口には結界が設けられていました。
その後、ようやく寺の本堂に到着したのですが、写真に収めるほどの建造物がそこには見当たらず、道中に高まっていた興味が萎えてしまいました。そこで、小さな池に咲いていた蓮を撮影。自然の美です。
寺から、まだ山を登って行くと、比叡尾山城跡があり、その近くに城主一族の墓地が広がっていたのですが、荒れ果てていたので、その写真は省きます。
これは、寺のレベルから、三次の町を見下ろした風景です。
住職夫人が庭掃除をされていたので、少し話を伺ったのですが、私が登ってきた参道に岩がごろごろして歩き難かったのは、先月の自然災害で、山の上にある溜池から大量の水が溢れ、整備してあった参道を荒れさせたそうです。下りは車も通れる観光道を利用するように勧められ、その通りにしたのですが、道は舗装されているものの、つづら折れになっていて、距離が登ってきた道の何倍もあり、時間も相当かかりました。
その下り道で、木漏れ日に照らされた落葉を撮影。
こちらも、下り道で見つけた葉影です。
次に訪れたのは、やはり三次市にある矢谷古墳です。
こちらも、事前に調べて選んだ訪問地なのですが、国の史跡に指定されているものの、現場へ着くと、たったのこれだけ。何か、狐につままれたような気分になりました。
岩屋寺も矢谷古墳も、訪問者は私たった一人でした。かなりマイナーな好みの持ち主ですね。
2018年8月8日水曜日
レバノン発掘品
今日は、レバノンで発掘された、とても小さな品を2点紹介致します。
まずは、3c頃に作られたローマンガラス瓶です。高さが僅か3.8cmなのですが、銀化がなかなか美しく、またそれが安定しています。銀化していても安定していなければ、手が触れるだけでパラパラと剥がれてしまうのです。ただ、その銀化が好きなのは特に日本人で、ヨーロッパの人たちは、銀化が取れたガラスそのものを好みます。今回のものは無疵なので、水を入れ、小さな花を生けることも可能です。
こちらは、フェニキア時代、BC2000~BC1000頃のブロンズ像です。高さが3.3cmの人物像ですが、どのような人物を表し、使用目的が何だったのかは不明です。これだけ小さくても、存在感があります。
今日は、レバノンで発掘された、とても小さな品を2点紹介致します。
こちらは、フェニキア時代、BC2000~BC1000頃のブロンズ像です。高さが3.3cmの人物像ですが、どのような人物を表し、使用目的が何だったのかは不明です。これだけ小さくても、存在感があります。
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