2018年 お盆
今年のお盆も今日で終わりですが、私は昨日まで広島へ墓参に行ってきました。現地でレンタカーを借りるため、行きたい場所を事前にチェックし、二ヶ所を訪れました。
まずは、三次市にある真言宗醍醐派の岩屋寺です。
寺へは徒歩で登る参道と、車を利用する、二つのコースがあったのですが、じっくり観察したいので参道をチョイス。緩やかな坂を少し登ると、このような仁王門がありました。寂れた感じで、期待を胸に進みます。
仁王門までは、歩き易い山道だったのですが、それを過ぎるとこのような岩だらけの道に変わり、先が思いやられましたが、興味津々で進むと、足下にヘビが横たわっていて、ちょっと吃驚。マムシに噛まれたらどうしようとその時は案じたのですが、帰宅してから調べると、この辺りにはマムシが多く生息しているようです。私はバーミューダにサンダル姿でしたから、下手をすれば即座に噛まれたでしょう。私は好奇心旺盛ですから、不安ながらも、そのまま進みました。
登って行くと、右手にいくつもの石仏を発見。ますます興味がわきます。
また少し歩くと、今度は左手の岩の祠に、並べられた石仏を発見。ちなみに、天平年間(730~750)に、行基が諸国巡錫の際、当山の霊気を感じ、岩屋の洞窟に観世音菩薩を刻み、岩屋寺と名付けたそうで、空海が唐より帰朝後の806年には、修行地であった当山も真言宗を奉じたとのことです。
まだまだ登ると、今度は右手に石の鳥居がありました。古い寺ですから、当然のことながら、以前は神仏習合だったのですね。
次は、多くの泥仏が納められた地蔵堂に到着。入口には結界が設けられていました。
その後、ようやく寺の本堂に到着したのですが、写真に収めるほどの建造物がそこには見当たらず、道中に高まっていた興味が萎えてしまいました。そこで、小さな池に咲いていた蓮を撮影。自然の美です。
寺から、まだ山を登って行くと、比叡尾山城跡があり、その近くに城主一族の墓地が広がっていたのですが、荒れ果てていたので、その写真は省きます。
これは、寺のレベルから、三次の町を見下ろした風景です。
住職夫人が庭掃除をされていたので、少し話を伺ったのですが、私が登ってきた参道に岩がごろごろして歩き難かったのは、先月の自然災害で、山の上にある溜池から大量の水が溢れ、整備してあった参道を荒れさせたそうです。下りは車も通れる観光道を利用するように勧められ、その通りにしたのですが、道は舗装されているものの、つづら折れになっていて、距離が登ってきた道の何倍もあり、時間も相当かかりました。
その下り道で、木漏れ日に照らされた落葉を撮影。
こちらも、下り道で見つけた葉影です。
次に訪れたのは、やはり三次市にある矢谷古墳です。
こちらも、事前に調べて選んだ訪問地なのですが、国の史跡に指定されているものの、現場へ着くと、たったのこれだけ。何か、狐につままれたような気分になりました。
岩屋寺も矢谷古墳も、訪問者は私たった一人でした。かなりマイナーな好みの持ち主ですね。
今年のお盆も今日で終わりですが、私は昨日まで広島へ墓参に行ってきました。現地でレンタカーを借りるため、行きたい場所を事前にチェックし、二ヶ所を訪れました。
まずは、三次市にある真言宗醍醐派の岩屋寺です。
寺へは徒歩で登る参道と、車を利用する、二つのコースがあったのですが、じっくり観察したいので参道をチョイス。緩やかな坂を少し登ると、このような仁王門がありました。寂れた感じで、期待を胸に進みます。
仁王門までは、歩き易い山道だったのですが、それを過ぎるとこのような岩だらけの道に変わり、先が思いやられましたが、興味津々で進むと、足下にヘビが横たわっていて、ちょっと吃驚。マムシに噛まれたらどうしようとその時は案じたのですが、帰宅してから調べると、この辺りにはマムシが多く生息しているようです。私はバーミューダにサンダル姿でしたから、下手をすれば即座に噛まれたでしょう。私は好奇心旺盛ですから、不安ながらも、そのまま進みました。
登って行くと、右手にいくつもの石仏を発見。ますます興味がわきます。
また少し歩くと、今度は左手の岩の祠に、並べられた石仏を発見。ちなみに、天平年間(730~750)に、行基が諸国巡錫の際、当山の霊気を感じ、岩屋の洞窟に観世音菩薩を刻み、岩屋寺と名付けたそうで、空海が唐より帰朝後の806年には、修行地であった当山も真言宗を奉じたとのことです。
まだまだ登ると、今度は右手に石の鳥居がありました。古い寺ですから、当然のことながら、以前は神仏習合だったのですね。
次は、多くの泥仏が納められた地蔵堂に到着。入口には結界が設けられていました。
その後、ようやく寺の本堂に到着したのですが、写真に収めるほどの建造物がそこには見当たらず、道中に高まっていた興味が萎えてしまいました。そこで、小さな池に咲いていた蓮を撮影。自然の美です。
寺から、まだ山を登って行くと、比叡尾山城跡があり、その近くに城主一族の墓地が広がっていたのですが、荒れ果てていたので、その写真は省きます。
これは、寺のレベルから、三次の町を見下ろした風景です。
住職夫人が庭掃除をされていたので、少し話を伺ったのですが、私が登ってきた参道に岩がごろごろして歩き難かったのは、先月の自然災害で、山の上にある溜池から大量の水が溢れ、整備してあった参道を荒れさせたそうです。下りは車も通れる観光道を利用するように勧められ、その通りにしたのですが、道は舗装されているものの、つづら折れになっていて、距離が登ってきた道の何倍もあり、時間も相当かかりました。
その下り道で、木漏れ日に照らされた落葉を撮影。
こちらも、下り道で見つけた葉影です。
次に訪れたのは、やはり三次市にある矢谷古墳です。
こちらも、事前に調べて選んだ訪問地なのですが、国の史跡に指定されているものの、現場へ着くと、たったのこれだけ。何か、狐につままれたような気分になりました。
岩屋寺も矢谷古墳も、訪問者は私たった一人でした。かなりマイナーな好みの持ち主ですね。