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2015年5月31日日曜日

Arab as it is (素顔のアラブ) 17

前回に引き続き、2006年のレバノンを紹介致しますが、今回はその年に起こったイスラエルとの戦争ではなく、1975年から1990年までの15年間続いた内戦の傷跡です。内戦終了後16年も経過していたものの、レバノン国内には戦闘で傷付けられた痕跡が多く残っていました。
内戦には至っていないものの、現在も主要政党間の争いが絶えないレバノンですが、吃驚するのは、内戦の終結後25年を経た現在でも、ほとんどの主要政党のリーダーが内戦当時のままなのです。そのタフさには驚きます。
レバノンでは、毎朝6時半からラジオ放送でファイルーズという女性歌手の歌が流れます。彼女は裕福なキリスト教徒なので、内戦時は他の多くのキリスト教徒のように、ヨーロッパ等に避難することもできたのですが、祖国で国民と共に生きることを選択し、宗派を問わず全てのレバノン人から慕われました。そのファイルーズを題材にした映画「愛しきベイルート・アラブの歌姫」がDVDでも発売されていますので、興味のある方はご覧になってください。私の好きな映画の一つで、今でも時々観ています。


                          Beirut, LEBANON
右側の背の高いビルは、内戦が起こるまで営業していたホテル。ビルには多くの弾痕があり、この建物に関しては、内戦のモニュメントとして残されている。

                     Beirut, LEBANON
ベイルートにある、パレスチナ人のサブラ難民キャンプ跡に立つビルの残骸。砲弾により大きなダメージを受けているが、このビルには、かつてPLOリーダーであったアラファトも一時身を隠していたという。レバノン内戦後、サブラ難民キャンプは消滅した。子供たちの立っている右側には、シャティーラ難民キャンプが現在も存在する。


                         Beirut, LEBANON
こちらも、サブラ難民キャンプ跡のビル残骸に残る弾痕。


                          Tripoli, LEBANON
レバノン第二の都市トリポリに、内戦まで使われていた貨物列車用の駅舎があり、その外には銃弾やミサイルを撃ち込まれたタンカーが残されている。


                          Beirut, LEBANON
内戦中は、ベイルートの西側にムスリム、東側にキリスト教徒が陣取っていた。このビルは、キリスト教徒側に残るビルの残骸で、多くの銃撃を受け、スケルトン状態になっていた。


                          Beirut, LEBANON
ここはベイルート、ダウンタウンの中心部。内戦が起こるまでは、中東のパリと呼ばれていたベイルートだが、長期にわたる戦闘で、多くの建物が破壊された。内戦後、更地になっていた所に、ようやく新しいビルの建設が進められていたが、ビルのオーナーは湾岸諸国の金持ちが多い。