現物を見てお買物をしていただきたく思いますので、インターネットを通しての販売は致しませんことをご承知おき下さい。

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2015年11月16日月曜日

法隆寺

昨日は、最近仲良しになった、現代美術家である伊藤祐之さんの個展最終日だったので、法隆寺ギャラリーを訪れました。伊藤さんの主な作品はミニマルな乾漆ものですが、今年からは、薪窯で焼く陶作品にも挑戦されていて、やきものではまだ初心者であるにも拘らず、なかなか興味深い作品を作っていらっしゃいます。

ギャラリーを覗いた後、法隆寺も訪問しましたが、私は大阪人であるのに、これまで法隆寺を訪ねたことがありませんでした。ひょっとすると、小学生の時に遠足で訪れたかもしれませんが、記憶には残っていません。


















2015年11月12日木曜日

黒牟田焼角大皿

力強い雰囲気のある黒牟田焼角皿の紹介です。黒牟田焼は武雄系唐津で420年の歴史がありますが、今日紹介しますものは明治頃の作なので、お手頃価格です。藁灰釉に貫入が入り、所々に土の鉄分が浮き出ています。こんな味の良い大皿が食卓にあれば、食も進み会話も弾むのではないでしょうか。サイズは、縦20.5cm、横33.5cmです。



2015年11月9日月曜日

美術鑑賞

昨日は、絵画鑑賞のため2軒の美術館を訪れましたが、美術館のはしごは生まれて初めての経験で、その後も現代陶芸のギャラリーを訪ね、帰宅後は大変な疲労感がありました。

パウル・クレー (だれにも ないしょ)   兵庫県立美術館
鴨居 玲 (踊り候え)           伊丹市立美術館

パウル・クレーの展覧会を観たのは約25年ぶりでした。メルヘンチックな作風なので一般的に受け入れ易く、昨日の美術館でも、老若男女、子供連れの家族も含め、やはり混み合っていました。画材の使い方、イメージの発想等、やはり卓越した才能の持ち主ですね。

鴨居 玲の展覧会は、以前から観たいと思っていたのですが、絵画を描く上での葛藤がそのまま作品に表現されていて、圧倒的な強さがありました。万人受けする絵画ではないでしょうから、鑑賞者の層がクレー展とは違っていましたが、みなさんがそれぞれの作品を丁寧にご覧になっていました。1人で来られた方が多かったようです。


2015年11月5日木曜日

チベット密教

今日はチベット密教に関するモノを2点紹介致します。


まずはお経です。120年程前のもので、包まれている布が法衣で作られているようなので、このお経も寺院で読まれていたのでしょう。勿論、手書きです。


こちらはチベットでよく使われる鉄印で、印は吉祥の意味があるホラ貝模様です。100年以上経っている古い印章で、黒錆に覆われています。

2015年10月31日土曜日

Arab as it is (素顔のアラブ) 22

今回はNo.17の続き、2006年のレバノンです。第二次レバノン戦争では、特に南部で大きな被害があったのですが、その地域には検問所があり、軍の許可がなければ入れません。許可を得るには、申請してからかなりの時間がかかるため、どのようにしてその地域に入ろうかと考えていたところ、宿泊客がほとんどいない滞在ホテルのレストランで2人のフランス人に出会い、その内の1人がディマイナー(爆弾処理者)としてレバノンに滞在していたので、同行させてくれることになりました。アラブでの私の旅は、常に、現地に入ってからどのように動くかを計画するため、その時も、目的地へ向かう手段がすぐに見つかったことはラッキーでした。数日後、南部へと向かいます。


                          Beirut, LEBANON
ホテルを出発し、ベイルート南部で最初に見た被害現場。ハイウェイが破壊されていて、イスラエル軍が交通のアクセスを遮断するために爆撃したことがよく分かる。


                   on the highway from Beirut to the south, LEBANON
レバノン南部へ向かうハイウェイのど真ん中に、爆撃による大きな穴があった。ベイルートから南部への道では多くの被爆跡を発見したが、逆方向ではほとんどダメージを見ることがなかった。武器や援軍を運ばせないように意図していたふしがある。


                           south LEBANON
レバノン南部に入ると、墓地で不発弾を探す作業が始まるところだった。ラマダーン(断食月)が始まる直前だったので、墓地での作業が重点的に行われていたのだが、日本でのお盆時期のように、ラマダーン中に墓参する人が多いという。見物するには作業地点から30m以上離れろとの指示があり、万が一の事故に備え、名前・国籍・連絡先・血液型等を記入させられた。


                           south LEBANON
車で走っていると、突然ある畑の前で止まり、この辺りが不発弾の探索をしている区域なので、少し作業を行うといわれ、私も手伝うことにした。僅か数分後、私は写真中央に写っているクラスターの不発弾(アメリカ製BLU63)を見つけた。このタイプの不発弾による事故は、戦後のたった1ヶ月間に104件起こった。一番厄介な場所はバナナ畑だと教わったが、理由は、バナナリーフに乗っかったままの不発弾に落下する危険性があるためである。


                           south LEBANON
レバノン南部では、このように広大な農地が広がり、戦争がなければ、のどかな美しい風景である。広い土地で不発弾を見つけるには、大変な根気と莫大な費用が必要であることを想像できた。結果、この戦争による不発弾処理に3年も費やしたそうだ。国連の不発弾処理機関MACCSLによる発表だと、328地域の778箇所にクラスター爆弾が投下されたことが確認されている。そして投下された数は400万個で、その内、不発弾は100万個であると推測された。


                           south LEBANON
これもレバノン南部での写真だが、酷い場所では、一帯が爆撃によりことごとく破壊されていた。

このレバノン戦争の数年後、「ダヒーヤ・ドクトリン」というイスラエル軍の作戦がウィキリークスにより暴露された。ダヒーヤとは、ベイルートの地区名で、イスラエルへの抵抗組織であるヒズブッラーの本部が存在する。どのような作戦かというと、イスラエルへの攻撃を行う者がいる場合、その者達の周りに一般市民が存在しようが徹底的に反撃し、イスラエルに敵対すればこのような目に遭うのだということをすべての住民に知らしめることであった。その後数回にわたって行われた、パレスチナ・ガザ地区への攻撃も同様な手口であったため、病院であろうが国連施設であろうが見境なしに砲弾を浴びせ、多くの死傷者を出した。ただ近代において、この攻撃方法はイスラエルによるものが初めてではなく、最初に行われたのは、第二次世界大戦中のアメリカによる日本への空襲である。

2015年10月29日木曜日

宋代影青蟠龍壺


高さ35.5cm、中国宋代の影青蟠龍壺を紹介致します。蟠龍とは、とぐろを巻いた龍のことです。この手の壺は、元来は一対揃っていたもので、お経を巻いて入れる容器だったそうです。発掘ものなので少々カセてはいますが、疵は、龍の爪と蓮弁の一部に小さな欠けがある程度です。市場にはあまり多く存在しません。

2015年10月26日月曜日

『日本で100年、生きてきて』   むのたけじ著  朝日新書刊

本の紹介です。むのたけじ(武野武治)さんは現在100才のジャーナリストです。戦中は朝日新聞の特派員としてジャワにも赴き、戦争というものを体験されましたが、1945年8月15日、敗戦の日に、国の戦争政策に押し切られ真実を伝えられなかった朝日新聞を辞職され、郷里の秋田県横手に戻って、週刊新聞「たいまつ」を創刊されました。組織では無理でも個人としては真実を伝えたいという気骨のある方です。
この本は、朝日新聞岩手版と秋田版で連載されたむのさんの聞き書き「再思三考」を編集したもので、戦争や原発のこと等、多くが語られていますが、日本の政治をおかしくした第一の責任は我々国民にあると述べられています。本代は842円、ランチを1食抜けば買える本ですから、どうぞ一読を!