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2023年1月9日月曜日

Gerhard Richter

年初に、セイシェルに住んですぐに親しくなったドイツ人の友人から、私の誕生日に対して祝いのメールが入りました。私がリヒター展に行く前日に、その返事を出し、そこに翌日リヒター展を観に行くんだと書いたところ、一昨日またメールが入り、彼女は昨年の2月にドレスデンで初めてリヒター展を観たとのことでした。そのメールには、彼女が撮ったリヒターの作品写真がいくつか添付されていて、私が豊田市美術館で観た同じものが含まれていたので、なるほど、リヒターの生地であるドレスデンで大きな回顧展が開かれ、それが東京、豊田市へと巡回してきたのだと流れが分かりました。
リヒターに関しては私に思い出があり、32、33年程前でしょうか、ゲーテ・インスティチュート(ドイツ文化センター)大阪から電話があり、リヒターが来日するので、彼に能や狂言を見せてやれないかという依頼でした。当時、私が親しく付き合っていた現代美術画廊がイタリアとドイツの現代美術を中心に扱っていたことがあって、私もゲーテと交流を持つようになりました。ゲーテには、私の高校・大学時代の同級生に能と狂言の家元の息子がいるのだと話したことがあったため、そのような依頼があったのです。早速、能をやっている同級生に電話を入れ、その話をしたところ、どちらの有名な方か存じ上げないが、その方のために能を舞うことはできないが、毎日稽古をするので、それを観てもらうことは可能だという返事でした。それをゲーテ側に伝え、数週間経ってそこから電話が入ったのですが、リヒターとしては、自分自身が思うように行動したいので、日本サイドのアレンジは必要なく、ゲーテが彼のために予約していた旅館もキャンセルせざるを得なかったとのことでした。その時に私は、政治や経済の土壌で活動している人たちと違い、能楽師である同級生もリヒターも己の道を只管に進む芸術家なのだと感じ入りました。
その件の前であったか後なのか記憶がはっきりしないのですが、ゲーテ・インスティチュート大阪の館長宅に伺う機会がありました。その館長の前任地がザイール(現在のコンゴ)であり、そこに8年間も住んでいたので、アフリカのプリミティヴなマスクやフィギュアを200点程所有していたのです。私は当時、プリミティヴ・アートのコレクターだったので、譲ってもらえないかと言ったところ、売りたくはないが良い能面があれば交換しても良いとの返答で、その後すぐに丹波まで能面を探しに行きました。ただ、その当時は所謂バブル期と呼ばれた時期で、古い能面は売らないが明治のものなら良いと言われたのですが、その時代のものでも100万円の値段が付いていました。同級生の能楽師にも能面に付いて尋ねましたが、良い能面は高額なので、借物で舞っているとのことで、結局、ディールは成立せず、後に私はセイシェルに移住することになりました。
そのゲーテの館長宅はマンションで、200平米の広さがありましたが、現在の大阪でも、その広さのマンションはあるのかないのか、とにかくビックリしました。カートンケースに入った白ワインをそこで飲ませていただきましたが、またそれが美味しいこと、彼は外交官なので、税金なしでどんどん送れるのだと話していました。もう1つ驚いたのは、その当時のゲーテ・インスティチュート大阪のオフィスは、北新地のビルの中にあり、初めてそこを訪れた際、昼間であったにも拘らず、ビールを飲みますかと冷蔵庫を開けてくれると、他の飲食物は全くなし、スペース全てにビールが入っていました。
その館長のアシスタントをしていた日本人が私と同年齢だったので、親しくし、私の写真展や現在の店も時々覗いてくれていたのですが、4年程前に鬼籍に入り、彼とリヒターの話等ができないのが残念です。