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2017年4月30日日曜日

Arab as it is (素顔のアラブ) 40

前回は2009年のチュニジアを紹介しましたが、2008年のレバノン・シリアが抜けていたので、今回はそれらを紹介致します。


                          Beirut, LEBANON
1975年から1990年まで続いたレバノン内戦では、多くの建造物が破壊され、20年程経過した時点でも、その傷跡が残り、新たなビルの建設が進んでいた。この写真もその1つだが、現場を取り囲む養生シートが洒落ていて、物語がある。アラブを紹介するこのシリーズの初回では、チュニスの建設現場の写真を紹介したことがあるが、日本国内では取って付けたような絵を描いたりして、素敵だなと感じる建設現場の養生シートを目にしたことがない。金儲け主義が先行して、通行人を楽しませるサービス心が欠如しているのか、それとも、センス・オブ・ユーモアがないのか。


                          Beirut, LEBANON
ベイルートにある、シャティーラ・パレスチナ難民キャンプで遊ぶ子供達。私の子供時代もそうだったが、遊び道具が今のように溢れていない場合、子供達はあらゆるものを遊び道具に変えてしまう。ものが溢れていない方が、知恵が働くのではないだろうか。私の場合、携帯電話を持つようになってから、電話番号も漢字も覚えられないようになった。便利さは、脳を退化させるような気がする。


                         Baalbek, LEBANON
ここは、バールベックにあるワーヴェル・パレスチナ難民キャンプの入口。今も、アラファトの大きな写真が至る所に掲げられている。


                         Baalbek, LEBANON
ワーヴェル難民キャンプ内にある、パレスチナ政党ファタハの事務所前には、小銃を構えたセキュリティが立ち、パレスチナ人の友人といっしょにいた私に微笑む。このキャンプは小さく、セクト間の争いがないため、平穏な空気を感じた。


                        Baalbek, LEBANON
学校の授業が終わり、難民キャンプ内の建物前でくつろぐ子供達。建物の壁には、政党のポスターが多く貼られている。


                         Baalbek, LEBANON
子供達の後ろの壁に木が描かれているが、その葉には、彼等の父母や祖父母が追い出された、パレスチナの町や村の名が書かれている。いつになれば、彼等が自分達の国に帰れるのだろう。


                           Hama, SYRIA
私はシリアが好きだったので、この時も、レバノンから3日間だけシリアを訪れ、ダマスカスに1泊、ハマに2泊した。以前にこのシリーズで紹介したように、レバノンでは、前年に、ファタハ・アル・イスラームというスンニ派のテロ組織がレバノン軍と死闘を繰り広げた。ピュリッツァー賞を受けたこともあるジャーナリスト、セイモア・ハーシュによると、そのテロ組織は、当時のレバノン政府やアメリカ、サウジアラビアが支援していたという。ここハマは、シリア国内で最も多くのスンニ派原理主義者が存在する。原理主義者イコールテロリストではなく、彼等はあくまでもクルアーンに忠実なイスラム教徒なのだが、ほとんどのイスラーム・テロリストは原理主義者である。宿泊したホテルの部屋が寒かったのか、それとも朝食に問題があったのか、朝食後に嘔吐したため、数時間部屋で休み、昼から撮影に出掛けると、交差点で止まったバスから大きな声が聞こえた。そちらを見ると、レバノン内のパレスチナ難民キャンプにある慈善組織で働く友人達が乗っていて、そのような場所で偶然会ったことに大変驚いたが、彼等は2日間だけシリアの観光旅行に来ていた。


                           Hama, SYRIA
イスラーム原理主義者の多いハマだが、オロンテス川を中心に広がる町はのんびり感がある。川にはいくつもの水車が設けられ、風情を醸し出している。内戦下にあるシリア、悲しいかな、この町も大きなダメージを受けているのだろう。